Sunday, February 26, 2012

魂で会話するということ 4

今日は、一日バンクーバーまで行かないと行けないんだけど、
行く前に、1時間だけ靈氣をしにリアンのところに行くことにした。


雨がザーザー降って、とても暗い土曜日。


今日は、なんとなく元気そうなので、
「なんか今日は元気そうだよ?」って言ったら、
「昨日、看護婦さんが来てくれて、排便を手伝ってくれたの。スッキリしたー。」
とのこと。やっぱり、排便って大切よねー、なんて気軽に話をしながら、
靈氣を始めた。




やっぱりいつもの様に、2〜3分で、リアンは眠ってしまった。
朝起きたばっかりなのに、またこうやってぐっすり眠れるってことは、
体が疲れているか、靈氣が効いているか、どっちかだよなー。




今日は、魂の会話になるのかなーって思いながら、靈氣をしていたけど、
昨日やおとといみたいな、不思議な出来事も起きなさそうな感じ。
とても静かに、いつものように靈氣のセッションが進んだ。




「なーんか、このままじゃリアンの人生は終わらなさそうな氣がするんだよなー。」
っていう私の思いは、今となっては幻想なのか、願いなのか、直感なのか、
まったくわからない。




そうこうしているうちに、私の頭の中が、突然日本語に変わったんです。




私はカナダに住み始めて、13年目。最近は、日本人が周りにいない限り、
たいてい私の頭の中は英語。特に、カナダ人を目の前にすると、すっかり英語。




なのに、突然頭の中が日本語になって、
「なんで日本語?」って思っていたら、こんな言葉がフッと出て来た。


「ゆっくり行こうよ、お母さん。」




まるで、娘が病気のお母さんに、
「ゆっくりで良いから、静かに生きて行こうよね、お母さん。」
って話しかけているみたいな感じ。




リアンに対して話しかけているのに、
「何で、”お母さん”なんだろう?」と思った。


私は、生前の母を”お母さん”と呼んだことは、一度もないんです。25歳になっても、
”ママ”と呼んでいたし、今も”ママ”と呼んでいる。だから、私の口から”お母さん”
という言葉がでること自体、なんで?って感じなんです。




その瞬間から、いろいろと解決出来ない自分の中の質問が解けて来たんです。




リアンに出会う前に、リアンの息子を学校で見かけた時、「この子のお母さんに会ってみたい。」ってどうして思ったんだろう。
どうしてあかの他人のリアンに、私は毎日靈氣をしに行こうという気分になったんだろう。
どうして、毎日行っても全く苦にならないし、当たり前のことのような感覚なんだろう。
どうして、リアンからお金を頂くと、なんか心地が悪いんだろう。


それは、もしかしたら、過去生でリアンは、私の母親だったからじゃないか、
って思った。リアンと私がその昔、母と娘という関係だった時、きっと私は
リアンのことを”お母さん”って呼んでいたんじゃないかって。




えーーーー、過去生なんてないよーーー、って思われてもいいんです。
あるから。




言葉にするのは、すごく難しいのだけど、とにかく、この世界では、他人として
生まれて来たけど、リアンの魂と私の魂は、母と娘という関係なんじゃないかって、
はっきり思ったんです。


だから、リアンの息子を遠くから見かけた時に、なんとなく親近感が湧いて、その子の
お母さん(リアン)に会ってみたいと思ったんだ。
だから、病気のリアンに出会った時、これから出来るだけ毎日訪ねようって思ったんだ。
だから、毎日行っても苦にならないんだ。まるで、娘が病気の母親を見舞うように。
だから、お金を頂くと、変な感じがするんだ。




これって、変な解釈なのかな、、、、。

魂で会話するということ 3

昨日とおとといのセッションは、リアンにとっても、私にとっても
不思議な体験だった。
今日のリアンは、なんとなく疲れている感じがするんだけど、どうしたのかな。


背中の筋肉の引きつりのせいで、立つことも歩くこともできなくなって、
もう3〜4日たつ。排尿の方は、管を通してすませられるものの、排便の方は
誰かに手伝ってもらわないと出来ない。
なので、昨晩、ダンナ様に手伝ってもらったけど、とにかく大変だったらしい。


健康だった人が、立てなくなってしまった為に人に排便を手伝ってもらわないといけない
ということは、そうとうショックな出来事だと思うし、手伝う方も大変だと思う。
看護婦さんのように、慣れているわけでもないし。


そんなことがあって、ちょっと落ち込んでいるらしい。


とにかく、私に出来ることは靈氣だけ。いつも通り、施術を始めた。


やっぱり、2〜3分すると、リアンは口をポカンと開けて、ぐっすりと眠ってしまった。


どうやら、今日は魂の会話はなさそう。すっかり眠ってしまっているし、私も
心静かに靈氣を楽しもう。と心が落ち着き始めた時、なんとなく、誰かが話しかけて
いるような感じがするんです。
声が聞こえるわけじゃないんだけど、私の脳みそが誰か違う人の脳みそと入れ替わった
みたいに、自分が考えることとは全く違う考えが、ポンポン入ってくる。


「なんなんだろう?」
って思いながら、頭の中で、
「あなたは、誰?」って聞いたら、答えはなし。でも、この男の人のような、ある物の
ような感覚は、私の頭にポンポンと考えを送り込んでくる感じがするんです。


ーリアンが生き延びるのだったら、今までとは正反対の生活になる。それでもいいのか。
ー元気な時の私は、あれが出来たのに、これが出来たのに、と比べることは許されない。
ー何も出来ない自分に罪悪感は一切もっては行けない。
ーおまけで与えられる人生なのだから、何に対しても感謝が出来るか。


などなど、生きることに関する契約文書みたいな感じ。それから、


ー死んだとしたら、一切それに罪悪感をもってはいけない。
ー死んだら、必ずあちらの世界に入ること。この世界でウロウロしていては
なんの役にもたたない。
ー自分の弱さで死んだとは思ってはいけない。役目を果たしたと思うこと。
ー子供には、死ぬ前に、死ぬということを出来るだけ説明すること。


などなど、死ぬことに関する契約文書みたいな感じのことも、ポンポン入ってくる。


なんとなく、生きるのも死ぬのも、リアン次第ってことを言ってる感じ。
小さなことに感謝出来る生き方ができるのなら、もう少しこの世界での人生を
与えよう。死ぬことを選ぶのだったら、その決断に100%満足してから死になさい、
って伝えている感じ。


これを、リアンに伝えなさい、伝えなさい、って命令されている感じなんです。


そんな、生きるならこれをしなさい、死ぬならこれをしなさい、って私が
言える立場じゃないし、そんなこと、生死をさまよっている人に、話しても
いいものか、緊張してドキドキしてしまう。


これを読んでいる人は、私の氣がふれてしまったのではないかって思うかも
しれないけど、いいんです。こんな感じが本当にしたから。




施術が終わって、スッと目を開けたリアンに
「今日はどうだった?」
って聞いたら、
「今日は、すっかり眠ってしまったみたい。昨日みたいなことは
なかったわ。マリは?」


と聞かれて、ちょっと言葉に詰まってしまった。
本当に、伝えていいのかな、って思うと、緊張してドキドキして暖かかった手が
スーッと氷のように冷たくなってしまった。


「うーん、どうやって言葉にしていいのかわからないけど、伝えた方が
良さそうな氣がすることがある。」
って言ったら、リアンは、
「何でもいいから、遠慮なく話して。」
と言ってくれた。


だから、生きるならこういう人生、死ぬならこれをしなさい、ってことが伝わって来て、
それをリアンに伝えなさいって命令された感じがした、ということを全て伝えてみた。


そしたら、リアンは、
「私も同じこと考えてた。もし生きるなら、今までとは全く違う人生を
送る。死ぬことの方が簡単な感じがする。」
などなど。




本当に、この数日の靈氣のセッションでは、人生を考えさせられるセッションで、
私も今までになく随分学ぶことが出来てる感じがする。





魂で会話するということ 2

昨日の不思議な靈氣の施術から一日たって、
今日も同じ時間にリアンのところに行った。


昨日よりも少し表情が明るいかな?って思った。


昨日はありがとう、とても不思議なセッションだったね。
っていう話をしながら、施術のポジションの準備。


仰向けから横向きのポジションに移ることも、ゆっくりと時間をかけて
やるんです。 痛いっていうのは、ほんとうに辛そうなんです。




昨日と同じように、少しだけ背中に靈氣をしてから、肝臓と右の肋骨の
ところに手を当てたら、ものの2、3分でリアンは眠ってしまった。




そしたら、昨日と同じように、また魂の会話が始まった。


私が頭の中で、
「リアン、今日はどんな感じ?」
って聞くと、顔をしかめてる。


なんとなく、
「マリ、やっぱり私はダメな感じがする。もう痛みがひどくて、痛みと生きて行くよりも
死んでしまった方が楽だろうなって思ってしまうの。」


って言ってる氣がする。




その後、私は頭の中でずっと
「ありがとね、リアン。ありがとね、リアン。」って
繰り返して言っていた。




リアンは、時々目を開けてキョロッと辺りを見回して、また眠ってしまう、ということを
何度も繰り返していて、私は「何でキョロキョロするんだろう?」って思っていた。


時々、フフッて笑ったり、足が走る感じに動いたり。
何かがリアンの周りで起こってるんだけど、霊媒師でもない私は、
何が起こっているかさっぱりわからない。
わかるのは、リアンが死ぬか生きるかのことを、考えて行ったり来たりしている
こと。


70分くらい経ったころ、私も次の施術があるし、そろそろ終わらないと、
とゆっくり手を離したら、リアンも目を開けた。


また
「夢みてたね?」
って聞いたら、


リアンは、
「今日も不思議だった。ねぇ、声が入っている音楽に変えた?マリはずっとしゃべってた?
だれか来てた?」って聞くので、


「音楽はいつもの静かなチャイムのなる曲だし、私はずっと静かにしてたし、誰も
来なかったよ。」と返事をした。


そしたら、
「おかしいなぁ、ずっと頭の周りでしゃべり声がして、時々目を開けては
誰がいるのか確認してたんだけど、誰もいないし。会話ははっきり聞こえない
のだけど、その会話の中で、時々私の名前が出てくるから、何のこと話してるの
かなって思ってたの。」


あぁ、だからキョロキョロしてたんだ。




リアンは、
「なんかね、あちらの世界の人達が、私の生死について話し合いをしている
みたいで、”今がタイミングなのか、今じゃないのか。”って決議している
みたいだった。




生きるか死ぬかの選択をするという会話を、まだしっかりと生きているけど
生死をさまよっている人と話すのは、ほんとうに不思議な感じなんだけど、
案外普通に話せるものなんだ、と思った。




ほんとに不思議だった。



Friday, February 24, 2012

魂で会話するということ

魂で会話するということを、はじめて経験したんです。


えー、おどろおどろしぃぃぃぃ〜、って言うのが、正直な反応でしょうか?そんな感覚よりも、なんというかとっても不思議なんです。


リアンの靈氣施術は、もう60日を過ぎました。
良くなったり、悪くなったりを繰り返しながら、最近は、少しずつだけど、
弱ってきている感じ。
痛みもひどく、骨の痛みや、筋肉がつってしまう痛みや、しゃっくりが痛かったり。
痛いから、立てなくて、立てないということは歩けなくて、だから、トイレにも
行けないから、管をとおして今のところ、超安静状態。


ガンで死んで行くということは、とても壮絶な感じがして、本人も周りの人も
大変なはずなのに、リアンは常に平穏で、笑顔(といっても、にっこり笑顔じゃなくって、
ちょっぴり笑顔って感じだけど)が絶えず、本当にこの方は死期が近いのかなって
疑ってしまう感じなんです。
そんなことを毎日感じながら靈氣をしているのだけど、実はガンで死ぬっていうのは、
そんなに悪い死に方でもないのかもしれないって思って。
失礼なのかな、こんなこと言うのは。
でも、アルツハイマーになって、亡くなる前の10年間は、自分が誰だか、
家族が誰だかわからずに亡くなって行くよりも、ガンの痛みはひどいけど、
最後の最後まで、自分が誰だかわかり、最後までありがとう、とか、お世話になりました、
とかいう会話をしながら亡くなって行くという方が、いいのかもしれない。
人は誰だって、いつかは死ぬんだから、それが若く有ろうと、年とっていようと、
急であろうと、時間をかけてようと、それは私たちが選ぶことではないのかな。


とにかく、昨日の靈氣は、不思議だった。


リアンのお腹に手を当てると、もう2分くらいでスーッと眠ってしまった。


私は頭の中で、
「リアン、まだ行けるよね?まだ体の芯に強さが残ってるから、その強さで
ガンと戦えるよね?」って話しかけたら、ポカンと口を開けて寝ているリアンが、


うんうんうん、とうなずいたんです。


「??? 今のって、タイミングが良すぎ、気のせいかな。」


って思いながら、もう一度、
「リアン、子供達のために、もう少し長く、生きたいよね?」
って頭の中で話しかけたら、


うんうんうん、ってうなずいて、かすかな微笑みとか浮かべるんです。


あ、私たち、魂で会話してる。って思いました。


そのまま続けて、
「リアン、私はガンになったことないから、自分の経験からは話せないのだけど、
ガンを克服した人は、みんな口をそろえたように、”ガンは自分の体の中で
出来たものだから、自分の体で治すしかない。”って言うんだ。だから、
自分の体の中のがん細胞とかに話しかけたりすることも大切なんだって。」


って頭の中で話しかけると、目はつぶっているけど、眉毛がピッと上がって、
「そうなの?」
っていう表情をするんです。


これは、なんとも言えない感覚で、自然に会話が出来てるのだけど、
声に出てない、という感じ。


時々、しかめっ面をしたり、口がパクパク動いて、もうすぐで声が出そうな
感じの時があったり、ククってくすみ笑いみたいなことをしたり。


しばらくこういう会話を続けていたら、リアンがスッと目を覚ましたから、
「夢みてたの?」
って聞いた。


そしたら、
「夢見てたっていうか、あなたとずっと話してたわ。何を話していたか、よく
覚えてないのだけど、なんか不思議だった。私、声だして話してた?」


ということは、ほんとうになんかコミュニケーションを取ってたんだ。
声をだしてたか、出してなかったかわからないくらい、現実味を帯びていたん
だろうと思うし、私にとっても、こんな経験はしたことがなかったので、
とても不思議だった。


今日は、リアンは、本当にこの末期ガンを克服するかもって思った。


でも、現実、リアンの体はとても弱っていて、こういう風に思うのは、
私くらいだろうなって思ってしまう。でも、なんでか知らないけど、
そう思えてならないんです。


だから、もうちょっと続けて靈氣やって行こう。

Sunday, February 19, 2012

校歌

昨日の夜は、久しぶりに日本人のお母さん友達と数人で集まって、
持ち寄りの晩ご飯と楽しい会話で盛り上がった。




その昔、私はかなりの酒豪で
「飲んで酔っぱらうとバック転をする黒い歌姫」
ーーー体育会系の体操部出身で、体操をやめてからはウィンドサーフィンにはまった
ので、肌は木彫りの彫刻のように黒く、その昔は歌が巧かったんです。ーーー
として名が知れていたのに、今となってはワイン2口で肩ががっくりなり、
グラス一杯飲むと次の日は具合が悪くなるので、飲み物は’水’で参加。


それでも、大盛り上がり。




ほんと、日本語で思いっ切り会話するのって、異国の街に住んでいる私たちに
とっては、ほんっと息抜きになるんですよー。


昔流行ったことの話とかで盛り上がるのは、日本で育っていないと
盛り上がれない。
なので、こういう会にダンナがくると、申し訳ないけど面倒くさいんです。
だって、いちいち通訳しなくっちゃいけなくって、これって、
漫才を見て大笑いして、それを人に伝えると、あんまり面白くなく
聞こえちゃって、
「自分で見らんば、わからんとって〜!」
ってことになってしまう様な感じ。 なので盛り下がる。




そんな楽しい会話のなかで、なんか知らないけど校歌の話になって、不思議なことに、
2日前にやったことはあんまり覚えてないのだけど、小学校や中学校の校歌は
まだ覚えていることに気がつきました!




小学校のころに鍛えたものって、まだ残ってるんだーって。
そういえば、小学校のころに弾いた発表会のピアノの曲は、未だに弾けるけど、
高校の時に弾いた曲は、まったく覚えてない。




どういうことなんだろー。



Monday, February 13, 2012

人生が詰まった3時間

2011年の年末から2012年のお正月後まで
日本に里帰りしてました。


日本のお正月は12年振りで、自分を見つめ直すことが出来た、
ほんとに心が洗われる16日間でした。


手を洗って、心も洗って。





そんな中で、ある3時間の中に不思議な出来事があって、そこに
人生の成り行きっていうものが反映されていて、学んだんです。




ちょっと長くなるけど、読んで見てくださいね〜!




今回のお正月の里帰りが出来たのは、過去2回、私が一人で子供を3人連れて
バンクーバーから長崎まで強行里帰りをしたお陰です。4人分で合計32席。
JALのマイレージのポイントがたまって、燃費代のみでチケット購入が出来たんです。
じゃなければ、お正月の海外からの里帰りはお金がかかって到底無理。


でも、マイレージチケットのマイナーな点は、融通があまり効かないこと。
なので、子供3人をダンナ様に預けて出るには、この里帰りは本当は最高10日間くらいで
済ませたかったのだけど、合計16日になってしまいました。


12月26日にバンクーバーを経ち、27日に成田到着、次の日に羽田から
長崎へ飛び、そこで1週間くらい滞在した後に、横浜の姉のところでゆっくり
したかったのだけど、長崎から羽田へ戻るチケットは、1月6日しかとれません
でした。


これでは、長崎の滞在がちょっと長過ぎて、横浜・京都への滞在が短く
なってしまうから、とりあえず1月6日の分は取ったものの、後から
やっぱり4日で別のチケット予約しておこう、と思い、長崎に住む
ダウン症の姉の分と一緒に、4日発の東京行きの飛行機を2席購入しました。




長崎での時間を思いっきり楽しんだものの、その間ダウン症の姉の体調不良になり、
このままでは横浜に飛行機で行くのは、体に無理がかかる、ということで
姉のチケットはキャンセル、私だけで4日の朝、飛行場へ。




ここからが、すごいんです。


さて、飛行場へ到着して、自動チェックイン機で、チェックインしようとしたら、

「搭乗手続きは終了しました。」


って紙がピロリと出て来たんです。


「は?終了って?1時間も早くついたのに。あー、早すぎた?」


なんて思いながら、突っ立っていたら、カスタマーサービスの人が
やって来て、チケットを見ながら言いました。


「お客様申し訳有りませんが、この飛行機は20分ほど前に出発致しました。」


「へ?っていうか、出発は10時35分ですよね?」


「いえ、恐れ入りますが、出発は9時5分で、到着予定が10時35分です。」




ガーン。飛行機、乗り遅れた。

しかも、出発時間と到着時間の覚え間違いという、
超オバカな理由で。




「お客様、キャンセル待ちの整理券は取られますか?」


っていうか、今日は1月4日、お正月あけの、田舎から東京へ向かう飛行機に、
キャンセルなんてあるんだろうか。飛行場は、人でいっぱいだし。


でも、とりあえずキャンセル待ちの整理券をANAとJALで取ってみた。


その間、
「どうか、今日の一番早い便に乗れますように。。。」と神頼み。


一台目を送り、2台目を送り、3台目を待っている時に、
「無理かもしれないし、これにもなんか意味があるはず!今日の一番早い便に
乗れますように、と願うよりも、私にとって一番都合のいい便に乗れますように、
に願い事を変えようっと。それから、なんでこうなったか、理由を教えて下さい、
って願おう。」
と気持ちを切り替えて、


「今日は無理かもしれないし、待ってる間に、メールでもチェックしよっと。」


とスターバックスでPCを開いたら、JALで働く従姉妹からメールが入ってて、


「真理ちゃん、6日のマイレージで取った分の飛行機に乗らないと、
バンクーバー行きのチケット、自動キャンセルになるから、はやめに
係の人に連絡した方がいいよ。」


「自動キャンセル〜〜〜?聞いてないよ〜!」
(聞いてないというか、きっと自分が契約書をきちんと読んでないだけの話だろう。)


ということで、じゃ、6日のマイレージで取ったチケットを、今日の4日の
キャンセル待ちに繰り上げ出来ないかなー、なんて軽い気持ちで
カスタマーサービスへ行ってみた。




チャカチャカチャカって、システムに打ち込んで、なんとか出来るか
調べてみてくれている。




が。




「お客様、申し訳有りません。このチケットは、マイレージで予約されているので、
キャンセルも変更もすることが出来ません。これに乗られなかったら、この後の
成田ーバンクーバー間の予約は自動的にキャンセルになりますので、無理でなければ、
6日の便に乗られることをお薦め致します。」




ゾッとしました。




マイレージでとったチケットには、そんな規則があるなんて、読みもせず、
6日の席はただキャンセルすればいいとか、見送っちゃえばいいか、なんて
軽い気持ちで4日の席を予約した時点で間違いは始まってたんです。


心の中では、
「うっわー、今日の便、乗り遅れて良かったー。」


乗っちゃってたら、自動的に6日の便は見過ごすことになってて、知らない間に
バンクーバー行きのチケットがキャンセルになってて、バンクーバーに
帰る日に、成田空港で私の席がキャンセルされていることに気づくはめになり、
バンクーバーに帰れないから20万円くらい出して、片道チケットを購入する
という羽目になるところでした。




あっぶな〜〜〜。

マイレージのポイントで安く里帰り出来たどころの話では済みませんでした。




それまでの不安な顔つきから、別人のような笑顔で、
「はいっ!ありがとうございます!6日に乗ります!
今日の空席待ちはキャンセルして下さい!」




カスタマーサービスのお姉さん、私の豹変振りについて来れず、
「あ、よろしいんですか?」と戸惑い気味。


しかも、4日の分はキャンセル料420円で、ほとんど全額払い戻しして頂いたし。


そんな手続きをしている最中、空港内のアナウンスメントが聞こえ、
「空席待ち番号、105のお客様、カウンターへお越し下さい。」


「あ、私の番号。あと10分待ってたら、今日の便で帰れたんだ。い、いやいや、
今日帰っちゃダメなんだって。」と心の中で思った。






そんなこんなしている間に、横浜の上の姉からメッセージがはいり、
「有紀ちゃんね、念のため、明日検査になったんだって。
不安そうにしてるらしい。」
とのこと。


「飛行機乗り遅れたし、有紀ちゃんとこ戻るわ。」


姉の所に戻ると、胃カメラとか喉の部分麻酔とか、聞いたこともない医学用語に
不安そうにしていたので、
「明日の検査も一緒に立ち会うね。」
そういったら、姉も少し不安さがなくなった様子。
翌日も、姉の足をさすりながら(靈氣をしながら)検査に立ち会い、
麻酔が切れるのを待って、一緒にお昼ご飯も食べて、安心したのを見てから、
再びバイバイしました。


「マリチャン、いてくれて、よかった〜。」
「足ジューッ(ずーっと)とさすってくれたでしょー、あれがとても安心した〜。」
「足スリスリしてくれて、ありがとー。」
「不安だっただけど、ダイジョブだったぁ、マリチャンいてくれたから〜。」


私がいることが出来たこと、そうとう心強かったみたいです。
よかった、カナダに引っ越してからは、たまにしか妹らしいことができないけど
肝心な時に、妹らしいことができて。




検査の後、お昼ご飯を食べてる時、ダウン症の姉は、
「もー。マリチャン、ドジだから。」
「何時の出発?」
「時間間違えないでね。」
「早めに飛行場行くのよ。」




と私に飛行機に乗り遅れないように、何度も念押ししてくれた。
精神年齢は低いかもしれないけど、姉は姉なんです。ドジな妹が、また間違いを
起こさないか、ハラハラしちゃうみたいです。






飛行場での3時間と、その後の2日間で、なんとういうか、人生を学びました。


飛行機の乗り遅れた時、
「大失敗!なんて私はドジなんだ!この後の計画、台無しじゃない!」
って思ったけど
飛行機に乗り遅れるのにも、かなり大きな意味があったんだ。


大体、時間を勘違いして飛行機に乗り遅れるってことは、大の大人は、まずしない。こんな勘違いが、奇跡的にも起こったこと。


それから、一年で一番忙しい時期だったから、大混雑の飛行場で
考える時間を与えられたこと。


考える時間があったからこそ、メールのチェックでもしよっと、って思ったこと。


そこで、バンクーバーに戻れないかもしれない事実を知ることが出来たこと。


飛行機に乗り遅れて正解だったって、すぐに理由がわかったこと。


そして、この余った2日間は、予期出来なかったけど、とても大事な長崎での2日間
だったこと。




私には想像も仕切れないことが、全て計画通りであったかのように
きちんと点がつながってるんだもん。 ビックリです。


でも、人生ってこんなもんだと思う。




「あー失敗ー!」とか「もう終わりだ〜!」とか思っても、必ず意味があるんだと思う。
その意味は、今すぐわからなくったって良いんだと思う。ただ、天に任せて、
なるようになってる、ってハラをすえてると、なるようになるんだと思う。


リラックス、リラックス。


なるようになってないかも〜!ってパニックになって、色々無理なことを
し続けると、なるようになることも、なるようにならなくなってしまうん
だと思う。


だから、悪あがきはなしに、今を楽しむのが一番なんだと思う。




そんなこんなで、人生を学んだ3時間でした。


なによりも、天国にいるパパとママがあせっていたことでしょう。自分たちの
末っ子が道を外さないように、一生懸命、点をつなげてくれていること、
今回も確信しました。






ちゃん、ちゃん。











Tuesday, February 7, 2012

リアン 49日目

昔からなんだけど、私って色々考える。
考えて、考えて、周りの声が聞こえなくって、授業についてってないこと
しょっちゅう。


小学校1、2年生の時なんかは、あまりに自分の世界に入り込むもんだから、
担任の先生から目をつけられ、
「岡崎さんは、名前を呼んでから返事するまで、すごく時間がかかるけん、
まるで”牛のよだれ”んごたんね〜。出て来てから地につくまで、ものすご時間
のかかるけん。」
なーんて言われて、牛のよだれを想像してまたボーーッとする。


家に帰って、母にその話をしたら、母は気分を害して、学校に電話を
入れていた記憶があります。


そんな私は、無事に大人になりましたけど、やっぱり考え事は多い。


最近ほんとに人生について考えさせられるのは、やっぱりリアンの癌治療を
させて頂いているから。


あんなに素敵な女性。 前向きで、芯があって、笑顔を絶やさない人が、
どうして癌と壮絶な戦いをしないといけない使命を与えられているんだろう。


これは、罰じゃないと思うんだ。罰じゃなくって、なんかの訓練なんだと
思うんだー。 辛い訓練を乗り越えればこそ、得る物が大きいから。


でも、乗り越えるってどういうこと?


癌に打ち勝って、生き抜くことが乗り越える?
それとも戦わないで、成り行きに任せることが乗り越えること?
それとも、成り行きに任せて、この世を去ることが乗り越えること?




私が思うに、結果がどうなろうと、乗り越えたということなんじゃーないかなー
と思う。




だから、結果にとらわれずに、今出来ることを一生懸命やることが
大切なんだと思う。




リアンの癌治療も49日がたっている。
最初の2週間は、ほんとに順調に回復していったけど、その後は、良くなったり
後戻りしたり、違う所が痛くなったり。
良くなってないけど、悪くもなってない、宙ぶらりんなところをウロウロしている。






でも、それにも意味があるんだと思って、私は私に出来ることを続けてる。




だって、毎回靈氣の最中は、リアンはポカンと口を開けて、カーカーゆっくりな
息をしながらが寝てしまって、終わると、リアンの顔がピンクになるから。ってことは
一日のうち80分だけでも、ポカンとできる気持ちが良い時間があるってことで、
80分だけでもピンクな時間が過ごせるんだったら、私は続けたいんだなぁ。。




私は霊媒師ではないから、人の将来が見えるとか、守護霊が見えるとか
そいういうことは、全くわからないのだけど、でも、なんか、
彼女は復活しそうな氣がしてならないんです。
それが氣のせいであっても、直感であっても、願望であっても、
関係ないじゃない。どうなるかわからないけど、続けて行こう。




昨日、リアンに靈氣をしていたら、こんな言葉がフッと頭に浮かんだ。


「生きても意味がある、死んでも意味がある。」


うーん、これはどうとらえていいものか。。。



Friday, February 3, 2012

トリュフチョコレート

カナダの街は、ピンク、赤、ハートでいっぱい。

そうです、ここでもバレンタインが近づいてます。

十代のころや、20代前半では、この日はかなり張り切ってましたー。はい。

カナダのバレンタインは、たいてい男性が女性にプレゼントをあげるというのが、
風習です。子供の小学校では、
「バレンタインのカードを渡すのだったら、クラス全員に渡すこと。特別な人だけ
ということはしないように。」という決まりがあったりもします。。。

日本のバレンタインとは、違うんですねー、ちょっと。


バレンタインになると思い出すのが、チョコレート作り。料理の先生だった母と
一緒に、1000個ものトリュフチョコレートを作り、ラッピングして、
友達や親戚や会社の人に売る、ということをしてました。

だって、お店で買うと高いでしょー。だから、お友達は我が家のキッチンから出来た
トリュフを買ってくれてたんですねー。 好きな人にあげるんだったら、
心を込めてラッピングし直してあげてたり、会社の同僚や上司への義理チョコ
だったら、そのままあげたりしてたみたいです。

でも、1997年のバレンタインは、そうも行かなかったんです。母の体調が
すぐれず、チョコレートは作ったけれど、自分の分くらいで、1000個
作って売る、というエネルギーはなかったんです。

そして、その10日後(うーん、2週間後くらいかな。)に母は亡くなりました。

1年後、一人でチョコレートを作ってみたけど、(買いたいという人がいたし。)
でも、ぜんっぜん楽しくなくって、作るの止めたんです。


それからは、その頃の悲しい思い出とか思い出しちゃうし、
なんか作る氣がしなくて、レシピもほったらかし。

でも、今回日本に一人旅をして、そんな気持ち、最後の最後に残っていた、
喪に悲しむような気持ちがふっきれたんでしょうか、今日、お買い物に
行った時に、お店にならんだピンクや赤のハートをみて、
「あら、バレンタインか。チョコレートでも作るか。」ってなんか、自然に
気持ちが湧いて、14年前まで毎年作っていたトリュフチョコレートの
材料に手が伸びたんです。


レシピを引っぱりだして来て、子供達を呼んで、みんなで作りました。
14年振りだけど、コツは覚えてた。




試したい人、早めに家に来て下さ〜い!