Sunday, September 23, 2012

ひまわり 4(はぐくみ編)

このお話は、ひまわり 3(出会い編)から続きます。

「アーツイデース。」

突然、そして、久しぶりに聞いた日本語に、びっくりしました。が、気を取り直して、

「Can you speak Japanese? (日本語話せるの?)
と聞いたら、

「ウン、チョトダケ。」


ということで、私たちの出会いの会話が始まりました。

どうやら、その時お付き合いしている彼女が日本人らしく、
だから、日本語が少しわかるんだ、ということでした。


その時の私は、彼氏とか、交際とか、ロマンスとか、結婚とか、全くもって興味がなく、
このお客さんには彼女がいるというだけで、安心したのでした。

というのも、私は両親とも若くして亡くなってしまっていたので、
家族を持つといずれは失ってしまうので、こんなに悲しい思いをするならば、
最初から持たない方がいい、と思い込んでいたし、その事は、色々とあって、
やけっぱちになっている頃でもあったので、もう一生一人で過ごした方が
無難だわ、と逃避モードだったんですね。


だから、彼女がいるというこの方は、とても安全に思えたのです。


その時の会話は、まったく気軽な会話で、


「Why in the world are you live in this city? なんでこんな所に住んでるの?」

「I've been here since last summer as a gymnastics instructor. (器械体操のインストラクターで、去年の夏の終わりからここに住んでるの。)」

「So rare to see a Japanese in this town. Do you have any friend? (この街で日本人を見かけるのは、珍しいなぁ。友達とかいるの?)

「I know few people, but I don't have friend.(知った人は何人かいるけど、友達はいないよ。)」

「What do you do in a day off?(休みの日とか何してるの?)」

「I go to movie, bike riding, shopping mall, but not much.(映画とか、自転車のったりとか、ショッピングモールに行ったりとか、でもあんまり色んな事しないな。」

「By yourself?(一人で?)」

「Yup, by myself.(うん、一人で。)」

「What is your hobby?(趣味とかないの?)」

「I used to race windsurfing, playing piano, gymnastics, reading book. But I don't have windsurfing gears, I don't have piano here, I can't find any Japanese book, so I don't do much.(ウィンドサーフィンでレースしてたし、ピアノ弾いたり、体操とか読書とか。でもウィンドの器具がないし、ピアノも持ってないし、日本語の本は探せないから、そんなにすることないんだ。)」

「I do windsurfing, too! Do you ski?(僕もウィンドサーフィンするよ!スキーは?)」

「I can ski, but I'm not good at it.(スキーは出来るけど、あまり上手じゃない。)」

「I can take you skiing if you want to.(もし行きたかったら、スキーに連れてってあげるよ。)」

「Really? OK!(ほんとに?オッケー!)」


こんな感じでした。

私としては、
(カナダでカナダ人にスキーに連れてってもらえるなんて、なんてカナダらしい!)
というまったく気軽なものでした。



スキーに行った時は、彼はその時の彼女の話ばかり(彼女はその時、日本に帰っていたので、遠距離恋愛だったんですね。)で、私は
「この彼女さんは、この人にこんなに愛されて、なんて幸せ者なんでしょう。」
と感心するばかりでした。



そんな感じで、私たちの友情はスキー、ウィンドサーフィン、ハイキング等、
アウトドアで清らかに育まれ、私のインストラクターの1年の任期も終わりを
迎えました。と、同じ時期に、彼も彼女のいる日本に行くということになりました。




忙しい中、ひとりぼっちの私を楽しませようと、スキーやウィンドサーフィンなど
色んな楽しい経験を作ってくれた彼に、私はありがとうカードを渡しました。


それは、日本にまだ住んでいる時に、気に入って購入した、ひまわりの写真の
ポストカードで、あまりにキレイなので、特別な時の為にと取っておいた、
お気に入りのカードでした。


つたない英語で、(今読んだら、もう恥ずかしいくらい、誤字脱字誤文法だらけ。。。)
感謝の気持ちを伝えました。



そしたら、そのひまわりの写真を見て、

「This photo is really good for a screen printing. Do you want to make hand printing card with me?  この写真は、印刷に向いているから、一緒に手作りのポストカードを作る?」

と言ってきました。


スクリーンプリンティングが、なんのこっちゃ、全くわかっていない私は、
カードを一緒に作るんだということだけは理解して、オッケーと言いました。


それから、お互いが日本に帰るまでの1週間、このカードを一緒に作るために、
毎日一緒に過ごしたんです。



初めて訪問した、彼のご両親のお店の裏に、印刷の器具がたくさんあって、
Tシャツのデザインは、こうやってプリントするんだとか、トロフィーの
金属のプレートの部分は、こうやって名前とかを彫るんだとか、未知の世界でした。



お父さんに会った時は、腕にある”MOTHER”と彫られたタトゥーが気になって、
「この方、そうとうお母さんを尊敬しているのねー。」
と思ったり、お母さんに会った時は、
「優しそうな方ねー、だから彼も優しく育ったのねー」、
って思ったり、13歳くらいの姪っ子さんが、カナダの東の果てまでヒッチハイクで横断した話を聞いて、
「なんてワイルドな家庭なんでしょう。」
と、思ったり。


それから、同じ時に、彼は彼女に渡す指輪のデザインを懸命にしていて、
私は同じ女性として、このデザインはこっちがいい、とか、あっちの方が
喜ぶと思う、とかアドバイスとかして。



そして、彼が日本に行くからということで、どうやら彼の親戚や友人が
集まって、サプライズのパーティーを企画していたのを知らず、
ただの夕食会だと聞いて、出かけて行ったら、通りのここそこに、
知った様な車が駐車しているのをみて、すぐに
「これは自分のサプライズパーティーだ。やっぱり行かない。」
と言って、パーティー会場まで行って、そのままUターンして戻って来て、
湖に一緒に行こう!と言われ、その午後を一緒に過ごしたのは、この私です。
家族のみなさん、ごめんなさい!



それは、楽しくて充実して、彼の事をもう少し知る事の出来た1週間だったのでした。



そして、こんな素敵なカードが出来上がり、
お互いに日本に行く準備が出来ました。





彼が先に日本に行ったのか、私が先に日本に帰ったのか、覚えていないのだけど、
最後にさよならを言った時は、とても寂しかったのを覚えています。



「同じ時期に日本にいるから、是非彼女と一緒に
長崎に遊びに来てね!とても良い所だから!」



という言葉を後に、ハグをする事もなく、バイバイしました。



好きになってもらおうと、氣を遣うこともなく、化粧をすることもなく、
Tシャツにジーンズという、なんとも気軽なお友達付き合いをする事が出来た
のが、実を結んだのでしょうかねぇ。


ということで、大好きなひまわりさんは、大活躍だったのです。


だから、私のメールアドレスには”ひまわり”が入っているんです。

ひまわりの様に明るく元気なまり、という意味ではなくて、
ひまわりがまりに幸せを持って来てくれた、ひまわりさんに感謝という
意味なんですよー。


ということで、ひまわりのお話はこの辺で、お・し・まいっ。


楽しんで頂けたでしょうか?

チャン、チャン。



Monday, September 17, 2012

ひまわり 3(出会い編)

ひまわりの話が続きます。

この第3話は、第4話へ持って行くための裏話になりますので、ひまわりは
登場しません。


私がカナダに初めて来たのは、1999年8月。 長崎からチリワックへ直行、
カルチャーショックと戦いながら、気がつくと今は2012年。
14年目に突入です。




1999年にカナダに来た最初のきっかけは、子供達に器械体操を教える
インストラクターとして1年の契約で来たのです。 英語は好きな科目であったけど、
当時では典型的な日本人、読み書きは得意だったけど、実際、会話が出来るほどではなく、そんな英語力でいきなり体操を子供達に教える、という立場になり、
ここに到着してから、「うーん、かなり勇気のある行動をしてしまったかも。でも
後戻りは出来ないので、頑張るしかない。」という、なんというか、選択肢も逃げ道も
ない海外生活が始まりました。


同時のチリワックは、まさに100%白人社会。どこに行っても、アジア人の姿は
なく、買い物にいくと、小さな子供にジロジロみられるし、何かにつけ、大人のグループに入ると、
「この人、英語しゃべるのかしら。どう対応していいのかわからないので、遠くに
座った方が無難だわ。」という雰囲気満々。
 やっと輪に入れたと思っても、ネイティブ英会話の早さについて行けず、結局
黙ってニコニコして聞いているだけ、わかってもいないのに、うなずいたり、一緒に
笑ったり。


ということで、友達が出来るわけもない。映画に行くのも一人、買い物に行くのも一人、
自転車で街を探検してみるのも一人。


そんな生活が5ヶ月くらい続いた。


それでも、だんだんと、この田舎町のチリワックの生活に慣れて来て、自転車があれば
近場だったらどこにでも行けるようになって来た。 
3時頃(学校が終わる時間)から始まる体操教室でのインストラクターも随分慣れて来て、生活にも心にも余裕が出て来た。 

「ランチタイムだけでも、仕事が出来ないかな。」

という軽い気持ちで、近くにあった日本食レストランに出向いてみた。


「Are you hiring? (仕事探してるんですけど。)」とつたない英語で聞いてみたら、
「Do you have resume? (履歴書持って来た?)」



心の中で、・・・Resumeって、何だ?

って考えていたら、

「Are you Japanese?(君、日本人?)」とあちらから質問してきた。

「Yes, I am. (はい、日本人です。)」と答えたら、

「Oh, you are hired. Can you start tomorrow? (君、採用するよ。明日から来れる?)」

「O, OK. I will come tomorrow. (は、はい。。明日から来ます。)」




「へっ? そんなんでいいんかぁ?」


そして、家に帰ってから、電子辞書で「Resume」を調べてみて、初めて



「あーーーー、履歴書のことね〜〜〜。」


そりゃ、仕事探しには履歴書はいるわよねー。そんなことも考えずに仕事探しを
始めた無知な私は、一発でウェイトレスの仕事を手に入れた、ついてる女。
新しいレストランだったらしく、韓国人オーナーの経営だったので、日本人の
私がお店にいるとなにかにつけ助かる、ということで、速攻採用してくれたのです。



次の日から、ウェイトレスとしてランチタイムだけ仕事を始めた私は、
なんか自立し始めた気分でとても嬉しかった。 


それまで日本でやっていた仕事というのは、親のつてで入社することの出来た三菱商事。世界を股にかける大会社。億単位の注文なんかがあり、ミスをしたり、納期遅れが
あったりすると、もう逃げたくなる時とかあったけど、それなりにやりがいもあった。
色々学ばせてもらい、私の人生には欠かせない経験だったけでも、お給料が良かったからか、お金に対するありがたみというのを、学んでいなかった、と今振り返って思う。


ウェイトレスの仕事は、当時1時間7ドルだった。チップとかも入れて、ランチタイムだけで働くと、一日25〜30ドル弱の収入。大金ではないけど、すごく嬉しかった。
そこで初めて、「お金って、大切だわー。1時間頑張って働いても7ドル。」当時の日本円ですると、500円くらい。

一緒に働いていた、白人のウェイトレスに、パブに飲みに行こうと誘われても、折角、汗水たらして稼いだお金を、お酒に費やすなんて、もったいない!と、今までの日本での生活とは、正反対。 飲み会、合コン、カラオケに費やしたお金さんたち、改めて、
ありがとう。。。


そのレストランにふらりと現れたのが、今のダンナさま。


今でもはっきり覚えている。水色のTシャツを来て、一人でふらりと入って来た。優しそうな笑顔は今も変わらない。

「テイクアウトでランチを注文したいのだけど。」と私に話しかけて来た。もちろん
ネイティブ英語で。
「じゃ、メニューをどうぞ。」とメニューを渡した。
「じゃ、鍋焼きうどん。」と彼は注文した。

心のなかで、
「鍋焼きうどんは、熱いのをフーフーしながら食べるのに意味があるのに、
テイクアウトなんかにしたら、冷めちゃうし、麺はのびるし、ったく、カナディアンは
鍋焼きうどんの良さをわかっとらん。」


と思いつつ、笑顔で、オッケー!と。


今支払って、出来るまでここで待ってます。と、財布を出そうとした彼は、財布を車の中に忘れてしまったのに気がつき、

「財布を車に忘れて来ちゃったから、すぐ戻ってくるね!」と、出て行った。

ほんとにすぐに戻って来て、

「財布取りに行ってる間に気が変わったよ。鍋焼きうどんはここで食べるから、
テイクアウトじゃなくて、ダインインに変えてくれる?」


私は、笑顔でオッケー!と言ったものの、心のなかで、

「そりゃそうよ。鍋焼きうどんは、ここで食べた方がいいわよ。」と思ったのでした。


鍋焼きうどんが出来て、テーブルに持って行き、
「熱いから気をつけてね。」と、またつたない英語で頑張る私。


一口食べた彼は、突然日本語で、


「アーツイデース。」
(熱いです)



ここから、第4話のひまわりの話に続きます。


PS しかも、この運命の日は、2000年2月2日、午後2時頃。私のラッキー
ナンバーの2がいっぱい。しかも、火曜日は、いつもだったらシフトに入ってない
日だったのだけど、もう一人のウェイトレスが病気で来れないので、私が
代わりに入った唯一の火曜日でした。 運命って!












Sunday, September 9, 2012

ひまわり 2(母と娘編)

ひまわりの話の続編です。


ひまわりは、わたしの大好きなお花、というかアイテム。 

好きな食べ物は何?って聞かれると、美味しければ、何でもいいなぁ。さんま、かなー。

好きな色は何?って聞かれると、「虹かなー。その時の気分によって違うからねー。」

好きな事は何?って聞かれると、楽しければ何でもいいなぁ。

と、かなり大ざっぱ。

でも、好きな物は何?って聞かれると、ひまわり、って答えるなぁ。


かといって、ひまわりグッズを集めているわけではないのだけど、ひまわりを
見るとなんか、フッと心が晴れるというか、わぁぁ〜、って心が惹かれる
というか。


これは、私が幼少のころからみたいです。 気がつくと、ひまわりが
大好きになっていました。


小さい頃、長崎の坂の上にあった家に、小さな花壇があって、キュウリをうえたり、
ナスを植えたりしていました。 ナスは、なかなか巧くいかなかったのを覚えている
けど、キュウリは、立派に育ってたのを覚えています。 
葉っぱの影に隠れたまま育ってしまったキュウリなんて、大きくなり過ぎて、
”お化けキュウリ”と呼んでました。


母に、
「野菜じゃなくて、お花は植えないの?」
って聞いたら、
「お花は食べれないからねぇ〜。」
というさすが、料理の先生だけあって、現実的な答え。


ある時は、崖の上の方で綺麗な菜の花を見つけたので、母が喜ぶだろうと
思って、崖を登って一束摘んで持って帰ったら、

「あら、美味しそうな菜の花〜!」
という答えも、料理人の母らしい答えでした。

花瓶に生けるために摘んで来たんだけど。。。


そんな昔の話は置いといて、ひまわりの話に戻りましょう。

そう、だから、お花は植えないの?という質問が気になったのか、次の年、
一回だけ、ひまわりの種をキュウリの代わりに植えてくれました。

それは、ものすごく背が高いひまわりと、ヒメひまわりという背の低い小さめの
ひまわりが、隣り合わせに育ち上がり、私はとても嬉しかったんです。

ある日、母と一緒に買い物から帰って来て、その大きなひまわりと、小さなひまわりの
姿を見て、交わした会話を今でも覚えているんです。

「ママは、ひまわりみたいだねぇ。いつもニコニコしていて、強くって太陽みたいだから。この大きなひまわりはママで、横にいる小さいひまわりは、まぃちゃん(私)だねぇ。」
私は、誰からも「まぃちゃん」と呼ばれていたので、自分の事を「私」と呼ぶ感覚が今一つかめず、長い事、自分の事を「まぃちゃん」と呼んでいました。)

そんな娘のコメントに、喜ぶわけでもなく、一言、
「そ〜ぅ?ひまわりみたい、ねぇ。」

早くに夫を亡くして、3人の娘を一人で育てていた母としては、きっといつもニコニコ
していたわけではなかっただろうけど、小さかった私にはそう写ったのだと思います。


野菜の採れない花壇は、母にとっては物足りなかったのか、夏の季節にその花壇に
ひまわりが植えられたのは、その年だけで、次の年はまたキュウリが植えられました。


そんな頃から、なーんかひまわりに心を引かれ続けていたんですね。 


そのひまわりが、今の幸せを持って来てくれるとは、つゆ知らず。


ひまわりのお話は、もうちょっと続きますので、お楽しみに!!!







Monday, September 3, 2012

ひまわり

さてさて、早速。。。。


今、我が家のベランダには、一本のひまわりが咲いてます。というか、咲いてました。
キレイに咲いた頃に、切り花にして花瓶にさして飾っていても良かったのだけど、
このひまわりの種が欲しいので、あえて、そのまま枯れるまで咲かせておこうと
思ってます。


 このひまわりの種は、1年前に亡くなったエミリーのお葬式の時に、参列者の皆さんへ
家族から配られたんです。 
エミリーとは、少しの間しか知り合いではなかったのだけど、その少しの時間で
色んな大切なことを教えてもらった、尊敬する人生の先生の一人です。
彼女のお話は、まばたきでイエスに書いてますので、是非読んで見てくださいね!

 

 ひまわりの種は、一袋に10粒くらいはいってたかな。私は7つの種を
小さなカップに一つずつ植えて、結局最後まで育ってくれたのは、この一本だけでした。
途中まですごく頑張ってくれた芽もあったのだけど、私の愛情不足で、お花が咲くまで
育たなかったんです。

 
 ある日、私が洗濯物を干している時に、足下にあるひまわりさん達が風で倒されているのに気がつかずに、茎の部分を踏んでしまったんです。


 くきに傷がついちゃっているし、すっかりぐったりしてしまって、これ以上そだたないかなーって思ったけど、生き残った最後の2本のうちの1本だったから、
「頑張って〜!」と言いながら、茎の部分に靈氣をしてみたり、土をわんさか盛り上げて、傷ついた茎の部分をかぶせてみたりしたら、みごとに復活。


その芽は、こんな感じに育っていて、一度くじけたけど、でも、上を向いて頑張ってます、っていうのが、もう心に響いて、毎日眺めてました。


エミリーの様だなーって思ったんです。


エミリーは、小さな時から車いすで、彼女に出会った時には、体を支える筋肉が
全くなかったので、車いすに座っていても、ダランとしている感じ。色んな所に、
クッションをしいたり、ベルトをしたりして、かろうじて座っていられる。
それでも、まったく文句を言う事もなく、いつも明るく前向きで、エミリーが
いるだけで、元気がもらえるという存在だなーって思ってました。


このひまわりの芽を見ていると、そんなエミリーを思わせて、さらに情が入って
しまってました。

私がもっと想像力を凝らして、竹串で松葉杖を作ってあげたり、支えを作ってあげていたら、良かったのだけど、ある風の強い日に、ポキッと折れてしまいました。。。(悲)


ということで、最後に残ったこの立派なひまわりさん。


子供達も、このひまわりさんを
「エミリー」と読んでいて、お水が足りなくて、葉っぱがしょんぼりしていると、
「マミー〜!エミリー、喉が渇いているよ〜!」って家族の様に相手をしてくれています。


1年前に、この種が配られた時は、
”Growing Hope”
Its not what you gather but what you scatter that tells what kind of life you have lived.
「希望を育てる」
あなたがどんな人生を送って来たかは、あなたが集めて来たものではなく、あなたがまき散らしたものでわかるもの。

というメッセージと一緒に渡されました。

そんなエミリーのメッセージを、どんどん増やしたくって、この一本のひまわりさん
からたくさんの種が取れるのを楽しみに、この一夏を過ごしています。


 私は、ひまわりが大好きで、ひまわりには、人生でかなりお世話に
なってるんです。 その話は、次回にしましょっか。


最後にブログを書いたのは、もう4ヶ月も前のこと。。。

なんだか、忙しさにかまけていたものあり、
「私が自己満足で楽しんで書いているだけなので、誰もアップを待ってたりしてないしー。」と思いきや、久しぶりに会ったお友達に、
「真理さん、いつクリックしてもまーだ靈氣日本語クラスブログのままなんだから〜!(笑)」
と言われ、あら、待っててくれる人がいるなんて、なんてありがたい!と感謝、感謝。

書きたいことは色々とあるんですよー。

リアンさんの話とか、歯の話とか、アマンダジェーンが来た話とか、犬の話とか、ひまわりの話とかー、不思議な出来事の話とかー。。。 

少しずつアップして行きますので、またよろしくおねがいします!!!