Saturday, December 24, 2011

Day 4

今日は4日目

リアンの朝、どうだったか知りたいですか?

私がドアを開けた時、ちょうどお手洗いから出て来たところで、キッチンで朝食
代わりのシェイクを飲み終えている所でした。歩行器を使わなくても
歩けてる。。。


少しの距離なら、歩行器無しで歩いてるんです!!!念のため、歩行器を近くに
置いているけど、ほとんど自力で歩いてる!!!

たったの3日前、右足に少しの体重もかけられずに身動きが取れなかったの
覚えてます???





これ、すごいかも。

こんな進歩をこの目で見ることが出来るなんて、なんて光栄なことなんでしょう。




ところで、この3回の施術、実は私に取っては結構きついものでした。というのも、
病院のベッドを使っての施術は、心地よく座るポジションを見つけるのが難しく、
無理に手を伸ばしたりしないといけないんです。

これじゃいけない、ということで、今回はちょっと工夫してみました。


施術中に数回、座っている場所や、手を当てている位置に合わせて、ベッドの高さを調整して、それからクッションを巧く使ってみた。

おお、違う違う。辛くない。

なんでもっと早く考えつかなかったんだー。
施術をしている方が、心地よくなくてはいけない、ということ、常々から
靈氣クラスの受講生さん達にはお伝えしているのに、自分がこうじゃ、いかんいかん。


とにかく、心地よいポジションを整えて、今日も施術を頭から始め、
腕、そして、背骨と骨盤に手を当てて、70分ほどの施術を終えました。




今日は、とても面白い感覚があったんです。



私の手は、彼女の体の下敷きになる感じになっていました。5〜6分たったころから、
彼女の背骨に近い方の私の手が、なんだか彼女の体の中にある様な感覚がするんです。


なんというか、こう、私の手の周りに、彼女の筋肉や臓器が囲んでいる感じで、
特に親指と人差し指は、彼女の体の中の何かをつかんで居る様な形に
なっている、「感覚」があるんです。 思わず、目を開けて確かめてみたけど、
やっぱり私の手は、彼女の体の下敷きになって、ぺったんこに押し付けられてる。


こういう感覚って、ときーどきあるのだけど、こんなにはっきりと感じるのは、
めったにないこと。ふしぎ。



しばらくすると、私の親指と人差し指が、何かをつまんでいる感じで、あたかも、
体の中にある、大きな大きなニキビをつまんで、真ん中から膿みがニュルニュルって
出てくる感じ。ほーんとに、へんな感覚。




そんな風に私は感じで、ウワーっと思っている中、彼女は爆睡。




「多分、靈氣が巧いこと効いているんだろうなぁ。。とにかく、続けよっと。」


施術が終わったら、彼女はとても幸せそうに目をつぶったままだったので、私は
そのまま静かに家を出ました。





続く。

Tuesday, December 20, 2011

リアン Day 2~3

二日目

リアンには昨晩会ったばかり。今は次の日の朝、たったの12時間後。


ドアをノックして、自分でドアを開けて家に入った。人のお宅に、勝手に上がるのは、
なんか変な感じ。でも、勝手に入って来てね、と言われたので、そうさせて
もらった。

リアンは歩行器の上に座って待っていた。

「あら、座ってる!気分はどう?」と聞いたら、


「まあ、なんとかね。」軽く微笑んでた。

「昨日の睡眠はどうだった?」


「寝れたけど、睡眠剤使ったから。。。」


一回だけの施術じゃ、このような深刻な状態の方には、効果は見られにくい。
でもいいんです。靈氣は、中から治して行くから、目に見える効果は、一番最後。
深刻であればあるほど、たくさんの施術が必要なのです。


彼女は、ベッドに上がるのもお手伝いがいる。リアンがベッドの端に座り、私が
彼女の両足をしっかり抱えて、1、2、3で、ベッドの上に乗せてあげる。


体をひねるとか、足を持ち上げるとか、何かを拾う、という動作を
すると激痛が走るらしい。。。




今日も、施術を頭から始め、腕、そして腰へ手を当て、80分。
今日は、昨日と違って邪魔が少なかったから、彼女もリラックス出来たみたい。

この調子で、続けてみよう。




三日目


ドアをノックして、家に入った。

 わっ!リアンが立ってる! キッチンで朝食代わりのシェイクを飲んでる。

「動き回ってるじゃない、いいね!」って言ったら、


「うん、歩行器使って、ちょっとだけね。でも、動き回れるって気分がいいわー。」

リアンは歩行器を使って、ゆっくりゆっくり歩いていた。それは、彼女に
とってはものすごい進歩。だって、二日前は、右足に少しの体重もかけられずに
いたのに、今はゆっくりだけど歩いてる。



すごい, すごい !

今日も、靈氣の施術を頭から始め、今回は、転移している背骨に手を当ててもらえ
ないかな、という彼女のリクエストに答えて、背中にも手を当てた。

時間がなくって、今日は60分のみ、でも、しないよりマシ。



家に帰ってから、

"聞いて聞いて!今日ね、リアンは歩行器で歩いてたよ!"


靈氣の良い所は、やればやるほど改善が見えてくる。その改善は、もしかしたら
自分の望む場所じゃないかも知れないけど、どこかに効いてくる。




山口千代子先生の生前のインタビューでは、
「次の日どうなるか、それが楽しみで靈氣がしたくてたまらない。」




ほんと、その気持ちが、よくわかります。 
" 明日のリアンはどうだろう?"


リアン Day 1

日曜日の午後、ある人から電話がかかった。


「こんにちは、リアンといいます。あなたの電話番号を、私の友達からもらいました。私の子供達、あなたの子供達と一緒の小学校に行ってるんですよ。」


ありがたいことに、私の靈氣のお仕事は、ほとんどが口コミで広がって
いってくれています。これも、全く知らない人からの電話で、ありがたいなー、
と思いながら、電話での会話が始まった。


「昨日、退院したのだけど、私にも靈氣が効くかなって思って、電話してみてるんです。」


(そっかー、入院してたんだー。)


そして、会話が進むにつれて、彼女の健康状態はかなり深刻な状態だということが
わかりました。


5年前に乳癌になり、全摘手術をした。
2年前に、再発した。
3ヶ月くらいまえに、骨に転移して、特に骨盤に転移した部分の痛みがひどく、
今は、歩くことも出来ず、睡眠もままならない。


ということ。

(わー、かなり深刻な状態なのに、声はとても落ち着いていて、穏やかだな。。)
というのが第一印象でした。






「今晩、お宅に伺いましょうか?」

私は靈氣をするのが大好きなので、時間があれば相手を見つけて靈氣をやっていれば、
もう幸せです。



リアンは、とても驚いて、
「えっ?今日来てくれるの?日曜日だけど、大丈夫?今日来てもらえると、すごく
嬉しいわ。」


ということで、夕飯を済ませてから彼女の家に向かいました。子供達、同じ学校に
行ってるって言ってたけど、会ったことある人かな〜?なんて思いながら到着。


ダンナ様がドアを開けてくれ、家の中に通してくれました。


中に入ってみると、リビングルームの奥に病院用のベッドが設置されてあり、そこに
彼女が横になっていました。
(あ、見たことある人。)
挨拶したことはないけど、見かけたことある顔、そしてその時、数ヶ月前に小学校経由で
転送されてきた、リアンのガン治療への募金活動の記事を思い出した。その時は、
(あー、この人にも靈氣してあげたいな。でも、靈氣に興味があるかわからないし、
全くの他人に「靈氣してみますか?」って聞かれるのも、変なセールスだと
思われるかもしれないし。と思いながら、頭の中から消えて行ってしまった記憶が
彼女の顔を見て、甦って来た。


(あ、、この人かー。)


ベッドに横になっていた彼女は、顔だけこちらに傾けて、
「こんばんわ、来てくれてありがとう。あなたの顔、見かけたことあるわ。」


私も、
「こんばんわ、初めまして。多分、学校でお会いしたことあると思います。」

思っていたよりも、深刻な状態。
電話では、話せなかった詳しい話を、面と向かって聞くと、本当に心が痛む。
彼女は、私よりもほんの1歳だけ年上で、子供は同じくらいの年齢。そんなお母さんが、
ベッドに寝たきりになっているのは、家族にとっても、本人にとっても想像を絶する
辛い経験だろうと思った。


彼女は、こちらで言うとステージ4の癌。多分、日本語で言うと末期がんなのだと
思う。腕に転移したガンは、骨を溶かして骨自体が弱くなってしまっているので、
手術をして、骨を支える金属のピンを入れたということ。 
骨盤に転移している腫瘍の痛みがひどくて、少しの体重もかけられないということ。
ということは、動けない。



私は、靈氣がどういうものか、どういうふうにガンに効果があるのか、
ということをわかりやすく説明した。そして、こういう深刻な状態の方は、毎日、
もしくは1週間に5日は靈氣の施術をしないと意味がない、ということを
話したら、毎日でもやりたい、とのこと。


じゃあ、まずは一回目を始めて見て、そのあとこれからどうやっていこうか
決めることにしました。


私は靈氣の施術を、たいてい頭から始めます。そして、問題がある場所に
時間をかける。彼女の腕に手を当てたかったのだけど、届かない。。。

靈氣の施術で、一番難しいのは病院での施術、もしくは病院ベッドを使っての
施術。
幅が広すぎるし、病院だと色んな機械が周りにあって、身動きが取りにくい。
頭側にも足側にも、高い格子や板が張ってあって、頭にも足にも手を当てるのが
とてもやりにくい。 近くに座っても、膝がベッドの下に入らないので、
手をグンと伸ばさないと、体に届かない。


施術をやっている本人の肩や腰が痛くなってくる。。。

でも、利点がいくつかあって、自動で高さの調節とリクライニングができること。


ま、とにかく、この最初の施術では、電話が鳴り、食器洗浄機が回っていて、
クリスマスソングが鳴り響き、興味津々の子供達がのぞきにきたりと、
いろいろ邪魔が入ったけど、リアンは夢と現の間を行ったり来たりしていた
様子。

最初の施術の後、彼女は感動してこう言った。


「体中にエネルギーが回るのがわかったの。体の中を通って、何かにぶつかって、
砕けるような感じ。変に聞こえるかもしれないけど、弱い方の腕がもっと痛くなった
感じもするのだけど、今は痛くないわ。こんな感覚、今まで経験したことない。
どういう風に説明していいのかも、わからないくらい、不思議な感じ。」




(望みがあるかも。)って思った。




Day 2 へ続く。

Friday, December 2, 2011

40歳

40歳。


40歳になって、1ヶ月半がたちました。自分が40歳になったって、
結構な驚きなんです。


”40年も生きて来たんだ〜!”って言うべきなのか、
”40年しか生きてないんだ〜。”って
言うべきなのか、なんだかよくわからない。

こんなTシャツのデザイン見つけました。
”私は40歳ではありません。22年経験を重ねた18歳です。”
西洋らしい、言い回し!


とにかく、私にとっては、40歳になるってことは、重大な事実なんです。
っていうのも、4歳半の時に亡くなった父は、39際だったので、
”39歳は、死期に近い年齢”っていう変な思い込みがあるんですね。
変ですよね、たいていの人達が、50、60、70、80まで
生きているのを毎日この目で見ておきながら、心の奥底の、
「39歳が死期に近い歳」っていう思い込みを消しきれてないんです。
幼少の頃からの思い込みっていうのは、こんなものなのでしょうか。


幼少だったので、死というものが、なんなんだかよくわかってなかった
けど、他の家族構成とはちょっと違うんだよな、ってことは、わかってました。



小さい頃のこんな思い出があります。


私が小さい時、私の母に年齢を聞くと、いつも「35歳よ!」って
言ってました。いつ聞いても35歳って言うけど、かなりノンビリ屋だった私は、
それを鵜呑みにしていました。

ある日、小学校からもらって来た書類に、母が色んなことを記入しなくては
いけなくて、住所や電話番号、健康状態や誕生日、そして年齢も。



母は、年齢の所に「42」と記入しました。



そこで私は、「違うよ、35でしょ?」
母は、「真理ちゃん、本当はね42歳なのよ。」

私は、「え、でも、この前35歳って言ってたよ。なんで突然そんなに年取るの?」
(はい、私はのんびり屋の上、算数が特に苦手でした。)
母は、「混乱させちゃったねー。冗談だったのよ、本当は42歳なの。」



私、本気で大泣きしました。




 ”えーーーー!年寄じゃないー。もうすぐ死んじゃうの?” って。




死のことを理解していなかったとは言え、死ということは、なんとなく
「消えてしまうこと」って理解していて、自分の母も消えてしまうんじゃないかっ
ていう恐怖があったんですね。



母の実年齢が42歳って知った時、「ってことは、パパの年齢よりも年取ってる」
っていう事実に本気でショックを受けたんです。その上、
「ってことは、ママがこのまま年取り続けて、もしどこかでママとパパがまた
出会うことになったら、ママは年寄り過ぎて、パパがママのこと気づかないかも
しれない。どうするんだろう。」
ってことまで考え込んで、母に相談したのも覚えています。


天真爛漫な母は、冗談で取っていて、
「そうねー、どうしよっかー、どうしよっかー!」って楽しそうに
話してましたし、私がそうやってショックを受けたことを
「真理に本当の年齢話したら、泣いちゃったのよ〜!ケラケラ〜!」って
友達に冗談まじりで話していましたが、私の頭の中では





「ってか、真剣なんだけど。」。。。


とにかく、のんびり屋だった私は、真剣に話せば話すほど、冗談で取られてしまいがちで、
「夢みてたんじゃな〜い?」とか、「想像力豊かね〜!」で、済まされ、
「やっぱ、夢かー。」で、説き伏せられることが多かった。


いつぞやのオリンピックでは、熱を出して一人でおじ宅の居間で
寝込んでいたら、鈴木大地が金メダルを取った瞬間をとらえ、高熱を押して、
お迎えのおじいちゃんとこまで歩き、親戚が集まっているところで
「日本が金メダル取ったよ〜。」って伝えに言っても、
「また、真理ちゃんが夢見てるから〜。」ってさっさと会話が終わってしまった
時には、さすがに、

「夢、ぢゃない。。。」って言いましたが。


話を元に戻しましょう。




それから時が経ち、自分の姉が39歳になって、この年に姉が死んじゃうかも
しれない、って心配しました。




それから、自分の義兄が39歳になって、この年に義兄が死んじゃうかもしれない、
って心配しました。


それから、主人が39歳になって、この年に主人が死んじゃうかもしれない、
って心配しました。


それから、もう一人の姉も39歳になり、この年に姉が死んじゃうかもしれないって
本当に心配しました。

そして、私が39歳になり、なんなく40歳になりました。



"ってか、こんなもん?"
”ただの取り越し苦労?”


39歳で亡くなるのは、若すぎるってよく聞いてたけど、実際39歳になるまで、
どんなに若いってことかよくわかってなかったんですね。


39歳になって、ようやっと”39歳で死ぬのは、若すぎる。”って体で
わかりましたが、同時に39歳で死のうと死ぬまいと、これは人生の長さでは
なくって、質なんだ、ってことを、私のたましいが理解したんです。


魂というと、なんかおどろおどろしくって、知ったかぶっているような感じ
なんだけど、これ、ほんとに体で理解するんじゃなし、頭で理解するんじゃなし、
魂なんですね、やっぱり。


人の生と死についての本を読みあさったり、感動する言葉集なんかも読みあさった
時期があります。そんな時、いつも、「やー、わかるわかるー!」ってわかっていた
ような気分になっていたけど、ここに来て、実際
全然わかってなかったんですねー。
頭で理解しているうちは、理解していないってこと。


本当に理解出来た時は、で理解した時、だけなんじゃないかって。


「心魂つくして」とか、高校の時によく聞いていた「気魄と情熱」って言葉、
きっと深い意味があるんだよなーって。


父の39年という人生は、短いとは思うのだけど、彼の父親としての役目は
まだまだ続いていると思うんです。だって、35年たった今、父から学んだことに
氣づいているから。多分、生きている父だったらこんな大切なこと、教えてもらえ
なかっただろうなって思うと、若くして死ぬのにも意味があると思えるものです。





どれだけ長く生きるかよりも、

どう生きるか。




長く生きれば生きるほど、エゴというものが積み重なって来て、自分よりも若い人や
経験の少ない人を、私たちは見下しがちになってしまいます。

でも、靈氣の教えでは、長く生きれば生きるほど、そんなネガティブな思いや
態度を一枚一枚はがして行って、長く生きれば生きるほど、エゴがなくなる、
という教えなんですね。



わたしたちにエゴがなければないほど、平和につながるんじゃないかな。


今日も、一枚はがして行こっと。





こんな感じ。








Monday, October 31, 2011

うまく使えない時間

9月から、新しい生活が始まって、今までよりももっと時間があるはずなのにぃ!


気がつくと、最後のブログからもうすぐ2ヶ月が経とうとしてる。




それまでは、週に3回、2時間だけ一人になれる時間があって、その2時間は、
一人で買い物(野菜、肉、魚の買い物であって、洋服、靴、バッグのショッピング
ではない。)、一人で銀行、一人で洗濯物をたたむ、そんなことをしている
うちに、2時間なんてサッサと終わってしまってました。


その一人の時間というのが、なんともうれしくて、それが銀行であろうと、
野菜屋さんであろうと、満足だったんですねー。


9月に入って、下の子が幼稚園に行き始めて落ち着いた頃からは、なんと毎日
6時間も一人になれる時間が出来たのです。


これは、典型的な末っ子自由人で育って来て、30歳まで独身で自由気ままに
過ごして来た私にとっては、9年間の子育て大奮闘の時期、子供達の成長を
多いに楽しむ一方、「自由のなさ」というのが、こう息苦しい時とかもあって、
この、2011年9月というのが、心底楽しみだったのです。






一日6時間、何しよ〜〜〜! 6時間X5日間=30時間。


さ、さ、30時間! わー、色んなことが出来るぞー!!




まずは、毎晩やっていた靈氣の治療を、昼に移し始めよう。
そしたら、晩ご飯が終わった後、家族の時間が持てるし〜。


それから、ずっと前から始めたかった、Yogaを始めようかなー。
昼のクラスも、夜のクラスもあるみたいだし。


それから、上の二人の時には、まったく顔出さなかった、学校のボランティアも
少しやってみよっかなー。


それから、今までやってなかったボランティアの靈氣を始めようかな。
お金がなくて、治療が受けられない人には、ボランティアやってみよう。


それから、今まで後回しにしていたお手紙を書いたりするの、少しずつ始めよう。


それと、ピアノの練習、もうちょっと定期的にやろうかなー。


あ、そうそう、ハープもこの6月に始めたし。練習しないと上手にならないしねー。


あ、そうだ、物置の奥にしまい込んでた、毛糸と毛糸針、引っぱりだして来よう。
そしたら、また編み物始められるし。


ミシンにも油さしとこっかなー。布団カバーを作る生地は買ってあるから、あとは縫うだけだし。


・・・。




そんなこんなしてると、計画立てるだけで6時間過ぎちゃってる。


今までなかった時間を、いきなり与えられると、もうどうしていいのかわからずに、
あれも、これも、あっちも、こっちも、ってやってるうちに6時間経ってしまって、


「あれ? 私、今日何しとったんやろ?」


ってことになってしまって、

あたし、時間をうまく使えてないなー、と反省。

一つずつ、こなして行こう。一つずつ。

ということで、始めの一歩はYoga。

もともと、体操競技をかじっていたこともあり、体は柔軟な方。
昔は、足首を耳の横で持ったり(後ろからエビぞり経由で)、180度というよりも、
200度開脚出来たりしてたのだけど、3人子供を産んでからの私の体は、

サビサビ


しかし、ヨガを始めてみたら、まー、奥が深くて楽しいー。


こーんなポーズや、

こーんなポーズ、(かなり真剣。)

このポーズは、ほんとはお尻が浮かないといけないのだけど、
手が短くて胴が長いと、うまくいかない。ブロックを使ってもダメかも。

それから、今はこーんなことや、
 こーんなことも、出来るようになりましたー。

ヨガと体操って似てるのかなーって思ってたけど、結構違う。

体操では、
「つま先がきたないー!つま先のばしてっ!」
ってことで、つま先がピンと伸びてないと、減点。

ヨガでは、
「つま先、伸ばさないー!」
ってことで、つま先が伸びてると、減点。

体操では、手がなるべく長く見えるように、肩が抜けるくらい手を伸ばすけど、
ヨガでは、肩の関節は閉めていないと行けない。


ってことは、状況によってはどっちも正しいし、どっちも間違ってる。


あー、これって人生と一緒だなー。


状況によっては、どっちも正しいし、どっちも間違ってる。
要は、自分がいかに順応性していくかによって、どっちも楽に歩んで行ける。


なーんて奥を深めたわたしでした。


Yogaライフ、楽しいなー。

次は、子供達の学校のボランティアを足していくぞー。