2010年、10月27日
何がきっかけで、靈氣をはじめたのですか。
これは、毎回クラスの時には聞かれる質問です。
何がきっかけで、靈氣をはじめたのですか。
これは、毎回クラスの時には聞かれる質問です。
思い返すと、多分、靈氣を始めたきっかけは、私が4歳のころ、当時39歳だった父が、医療ミスで命を失ったときから、始まっていると思います。
魂のことを学び始めたのは、この頃だと思います。
母は、昔病院で栄養士をしていたことや、料理研究家だったこと、
そして、父の不運な死があったこともあり、私たち姉妹は母に、
「たくさん笑って、いい食生活をすることで、健康は保てるよ。
お医者さんも人間だから、彼らがミスすると、命に関わることもあるのだから、
自分の健康は、自分で管理しなさい。」と教えられました。
母はそれはそれは、よく笑う人で、娘であるこっちが
しらける時も、しょっちゅうでした。
私が高校の時、進路を決める際に、
「人間の体のこと、きちんと学んでいれば、自分が母親になった時に、
自分の家族を守ることが出来るかも。」と思い、東京女子体育大学で、
健康保健と体育の学位を取り、高校・中学の教員免許を取りました。
体のことを学び始めたのは、この頃からです。
それから、母も不意な形で亡くなり、自分自身もすっかり壊れかけて
しまったと同時にに、私の精神世界への興味がそれまで以上に高まり、
死んだらどうなるんだろう、お母さんが恋しいなぁ、という思いから、
どうやったら、魂の世界と交流が出来るんだろう、と探りました。
心のことを学び始めたのは、この頃だと思います。
「人間の体のこと、きちんと学んでいれば、自分が母親になった時に、
自分の家族を守ることが出来るかも。」と思い、東京女子体育大学で、
健康保健と体育の学位を取り、高校・中学の教員免許を取りました。
体のことを学び始めたのは、この頃からです。
それから、母も不意な形で亡くなり、自分自身もすっかり壊れかけて
しまったと同時にに、私の精神世界への興味がそれまで以上に高まり、
死んだらどうなるんだろう、お母さんが恋しいなぁ、という思いから、
どうやったら、魂の世界と交流が出来るんだろう、と探りました。
心のことを学び始めたのは、この頃だと思います。
それから、いろんなことがあり、2001年に結婚して、
自分の家族を築き始めたのです。
自分の家族を築き始めたのです。
2002年に産まれた長男は、とっても健康な赤ちゃんでした。
2004年に産まれた二人目は、3ヶ月のころから、アトピーが
出始めたのです。
2004年に産まれた二人目は、3ヶ月のころから、アトピーが
出始めたのです。
これが、3ヶ月くらいのころで、産まれてから、毎日ウンチをすることが
出来ず、長い時は、13日もウンチが出ないこともありました。
毒素が、体から排出出来ず、皮膚から滲み出て来ていたのです。
(2004年、6月)
予防注射の副作用で、アトピーがひどくなった頃。
(2004年, 9月)
一時期、肌の調子が良くなったのは、漢方やホメオパシーを使い始めて、定期的にウンチが出るようになったからです。
(2004年、10月)
これは、一度高熱が出た時に、アトピーがものすごくひどくなり、
顔全体が、割れて、黄色い汁でカピカピになってしまったのです。
この写真は、一番ひどい時からして、すこし落ち着いた頃で、
一番ひどい時は、悲しくて、写真を撮ることも出来ませんでした。
皮膚の専門家に連れて行っても、抗ヒスタミン剤か、ステロイドクリームでしか
治療出来ませんよ、と言われました。
その考え方が理解できなかったのです。
(2005年、4月)
父を医療ミスで亡くし、母は常に栄養のことを教えてくれていた
こともあり、民間療法でのアプローチに目を向けたのは、
とても自然なことだったと思います。
抗ヒスタミンで、かゆみをおさえること、
ステロイドクリームで、肌のあれをおさえるという医者の考え方が、
全く理解が出来ず、なんで、あんなに賢いお医者さんたちは、
症状を抑えることに目を向けて、症状の根源を治療することを
考えないのだろう。 症状を一時的におさえたって、根本的な
原因を突き止めないと、治ったことにはならないじゃない。
その頃は、子どもを連れて、買い物に行ったり、遊び場に連れて行ったり
すると、
「お医者さん連れてった?」
「これって、ひどい火傷?」
「なんていう皮膚病なの?」
「感染しない?」
「このクリームがいいわよ。」
「あの方法は試した?」
などなど、会話は、常にこの子のアトピーの話になり、
私も頭が一杯になって、ノイローゼ気味になり、周りの人は、
私のことを、’子供のことを面倒見ない、ダメなママ’だと思っている
様な気分すらして、外に行くのもいやになった時期でした。
この子の肌は、夜になると痒くなり、シーツに顔をこすりつけて、
シーツは血のシミだらけでした。
なにか、体に合わないものを食べると、すぐに肌が割れて来て、
一時は、リンゴとお米、それから、サンライダー(漢方)の食べ物しか
食べれない時もありました。
シーツは血のシミだらけでした。
なにか、体に合わないものを食べると、すぐに肌が割れて来て、
一時は、リンゴとお米、それから、サンライダー(漢方)の食べ物しか
食べれない時もありました。
(2005年、5月)
この頃に、日本人の、ヒーラーと呼ばれるきみさんに、ヒーリングを
してもらった時に、すごい改善が見られて、
「きみさんに出来ること、私も出来るようになれないかな。」
と相談したら、
「氣を使ったヒーリングの土台は、靈氣なので、靈氣を習って毎日
治療してあげたらどうですか?」と提案されました。
そっか、「靈氣」か。
なんか、漢字からすると、おどろおどろしいし、
真光さんとか、新興宗教とかじゃないかなーと思いつつ、
調べてみると、そんな感じもしないので、早速
西洋レイキというものを習ってみました。
(2005年, 10月)
まだ、肌が割れたりしていたけど、なんか調子が
良くなって来ていてました。その西洋レイキの先生から、伝統的な
靈氣と知られていた直傳靈氣を紹介されたのです。
直傳靈氣を習ったときには、手の感覚がとてもはっきり
して来て、それからは毎晩治療をするように
なりました。
(2006年3月)
良くなって来ていてました。その西洋レイキの先生から、伝統的な
靈氣と知られていた直傳靈氣を紹介されたのです。
直傳靈氣を習ったときには、手の感覚がとてもはっきり
して来て、それからは毎晩治療をするように
なりました。
(2006年3月)
毎晩治療を始めて、2ヶ月後、
おでこのあたりとか、なんとなくスッキリしてますよね。
おでこのあたりとか、なんとなくスッキリしてますよね。
(2006年5月)
毎晩、2ヶ月間、消化器系を中心に、靈氣治療をした結果、
だんだんと、食物アレルギーもなくなって来て、肌の調子も
良くなってきました。
この写真の2日後に、3人目の子どもが産まれました!
(2006年、5月)
これは、5ヶ月間、毎晩靈氣治療をした結果、
アトピーの跡形もなくなったころです。
アトピーの跡形もなくなったころです。
肌の調子は、完全によくなり、アトピーが発症することは全くなくなりました。
(2007年1月)
私が靈氣を始めたきっかけは、我が子のアトピーをとにかく
治してあげたい一心だったのです。
アトピーは、とても治りにくい病気なのです。しかも、ステロイドを
使い始めてしまうと、本当に治りにくく、しかも中毒になってしまい、
後から恐ろしいことになってしまうと、わかっていたので、
この結果をこの目で見たとき、
「たくさんの人に、靈氣の存在を知って欲しい!」と思いました。
こんなにシンプルな治療法って、他にないと思います!
2007年、師範格になり、2008年師範になり、
今も毎月、靈氣のクラスを行って、楽しんでいます。
月曜日から、金曜日は、毎晩6時半と8時半に、お客様がきて、
私の靈氣部屋で、おもいっきりいびきをかいて帰られます。
娘が、小さな体をもって、私に教えたかったこと、それは、
「天職を持つって、こういうことだったんだ。」
「天職を持つって、こういうことだったんだ。」
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