ひまわりの話の続編です。
ひまわりは、わたしの大好きなお花、というかアイテム。
好きな食べ物は何?って聞かれると、美味しければ、何でもいいなぁ。さんま、かなー。
好きな色は何?って聞かれると、「虹かなー。その時の気分によって違うからねー。」
好きな事は何?って聞かれると、楽しければ何でもいいなぁ。
と、かなり大ざっぱ。
でも、好きな物は何?って聞かれると、ひまわり、って答えるなぁ。
かといって、ひまわりグッズを集めているわけではないのだけど、ひまわりを
見るとなんか、フッと心が晴れるというか、わぁぁ〜、って心が惹かれる
というか。
これは、私が幼少のころからみたいです。 気がつくと、ひまわりが
大好きになっていました。
小さい頃、長崎の坂の上にあった家に、小さな花壇があって、キュウリをうえたり、
ナスを植えたりしていました。 ナスは、なかなか巧くいかなかったのを覚えている
けど、キュウリは、立派に育ってたのを覚えています。
葉っぱの影に隠れたまま育ってしまったキュウリなんて、大きくなり過ぎて、
”お化けキュウリ”と呼んでました。
母に、
「野菜じゃなくて、お花は植えないの?」
って聞いたら、
「お花は食べれないからねぇ〜。」
というさすが、料理の先生だけあって、現実的な答え。
ある時は、崖の上の方で綺麗な菜の花を見つけたので、母が喜ぶだろうと
思って、崖を登って一束摘んで持って帰ったら、
「あら、美味しそうな菜の花〜!」
という答えも、料理人の母らしい答えでした。
花瓶に生けるために摘んで来たんだけど。。。
そんな昔の話は置いといて、ひまわりの話に戻りましょう。
そう、だから、お花は植えないの?という質問が気になったのか、次の年、
一回だけ、ひまわりの種をキュウリの代わりに植えてくれました。
それは、ものすごく背が高いひまわりと、ヒメひまわりという背の低い小さめの
ひまわりが、隣り合わせに育ち上がり、私はとても嬉しかったんです。
ある日、母と一緒に買い物から帰って来て、その大きなひまわりと、小さなひまわりの
姿を見て、交わした会話を今でも覚えているんです。
「ママは、ひまわりみたいだねぇ。いつもニコニコしていて、強くって太陽みたいだから。この大きなひまわりはママで、横にいる小さいひまわりは、まぃちゃん(私)だねぇ。」
(私は、誰からも「まぃちゃん」と呼ばれていたので、自分の事を「私」と呼ぶ感覚が今一つかめず、長い事、自分の事を「まぃちゃん」と呼んでいました。)
そんな娘のコメントに、喜ぶわけでもなく、一言、
「そ〜ぅ?ひまわりみたい、ねぇ。」
早くに夫を亡くして、3人の娘を一人で育てていた母としては、きっといつもニコニコ
していたわけではなかっただろうけど、小さかった私にはそう写ったのだと思います。
野菜の採れない花壇は、母にとっては物足りなかったのか、夏の季節にその花壇に
ひまわりが植えられたのは、その年だけで、次の年はまたキュウリが植えられました。
そんな頃から、なーんかひまわりに心を引かれ続けていたんですね。
そのひまわりが、今の幸せを持って来てくれるとは、つゆ知らず。
ひまわりのお話は、もうちょっと続きますので、お楽しみに!!!
Sunday, September 9, 2012
Monday, September 3, 2012
ひまわり
さてさて、早速。。。。
今、我が家のベランダには、一本のひまわりが咲いてます。というか、咲いてました。
キレイに咲いた頃に、切り花にして花瓶にさして飾っていても良かったのだけど、
このひまわりの種が欲しいので、あえて、そのまま枯れるまで咲かせておこうと
思ってます。
このひまわりの種は、1年前に亡くなったエミリーのお葬式の時に、参列者の皆さんへ
家族から配られたんです。
エミリーとは、少しの間しか知り合いではなかったのだけど、その少しの時間で
色んな大切なことを教えてもらった、尊敬する人生の先生の一人です。
彼女のお話は、まばたきでイエスに書いてますので、是非読んで見てくださいね!
ひまわりの種は、一袋に10粒くらいはいってたかな。私は7つの種を
小さなカップに一つずつ植えて、結局最後まで育ってくれたのは、この一本だけでした。
途中まですごく頑張ってくれた芽もあったのだけど、私の愛情不足で、お花が咲くまで
育たなかったんです。
ある日、私が洗濯物を干している時に、足下にあるひまわりさん達が風で倒されているのに気がつかずに、茎の部分を踏んでしまったんです。
くきに傷がついちゃっているし、すっかりぐったりしてしまって、これ以上そだたないかなーって思ったけど、生き残った最後の2本のうちの1本だったから、
「頑張って〜!」と言いながら、茎の部分に靈氣をしてみたり、土をわんさか盛り上げて、傷ついた茎の部分をかぶせてみたりしたら、みごとに復活。
その芽は、こんな感じに育っていて、一度くじけたけど、でも、上を向いて頑張ってます、っていうのが、もう心に響いて、毎日眺めてました。
エミリーの様だなーって思ったんです。
エミリーは、小さな時から車いすで、彼女に出会った時には、体を支える筋肉が
全くなかったので、車いすに座っていても、ダランとしている感じ。色んな所に、
クッションをしいたり、ベルトをしたりして、かろうじて座っていられる。
それでも、まったく文句を言う事もなく、いつも明るく前向きで、エミリーが
いるだけで、元気がもらえるという存在だなーって思ってました。
このひまわりの芽を見ていると、そんなエミリーを思わせて、さらに情が入って
しまってました。
私がもっと想像力を凝らして、竹串で松葉杖を作ってあげたり、支えを作ってあげていたら、良かったのだけど、ある風の強い日に、ポキッと折れてしまいました。。。(悲)
ということで、最後に残ったこの立派なひまわりさん。
子供達も、このひまわりさんを
「エミリー」と読んでいて、お水が足りなくて、葉っぱがしょんぼりしていると、
「マミー〜!エミリー、喉が渇いているよ〜!」って家族の様に相手をしてくれています。
1年前に、この種が配られた時は、
”Growing Hope”
Its not what you gather but what you scatter that tells what kind of life you have lived.
「希望を育てる」
あなたがどんな人生を送って来たかは、あなたが集めて来たものではなく、あなたがまき散らしたものでわかるもの。
というメッセージと一緒に渡されました。
そんなエミリーのメッセージを、どんどん増やしたくって、この一本のひまわりさん
からたくさんの種が取れるのを楽しみに、この一夏を過ごしています。
私は、ひまわりが大好きで、ひまわりには、人生でかなりお世話に
なってるんです。 その話は、次回にしましょっか。
最後にブログを書いたのは、もう4ヶ月も前のこと。。。
なんだか、忙しさにかまけていたものあり、
「私が自己満足で楽しんで書いているだけなので、誰もアップを待ってたりしてないしー。」と思いきや、久しぶりに会ったお友達に、
「真理さん、いつクリックしてもまーだ靈氣日本語クラスブログのままなんだから〜!(笑)」
と言われ、あら、待っててくれる人がいるなんて、なんてありがたい!と感謝、感謝。
書きたいことは色々とあるんですよー。
リアンさんの話とか、歯の話とか、アマンダジェーンが来た話とか、犬の話とか、ひまわりの話とかー、不思議な出来事の話とかー。。。
少しずつアップして行きますので、またよろしくおねがいします!!!
なんだか、忙しさにかまけていたものあり、
「私が自己満足で楽しんで書いているだけなので、誰もアップを待ってたりしてないしー。」と思いきや、久しぶりに会ったお友達に、
「真理さん、いつクリックしてもまーだ靈氣日本語クラスブログのままなんだから〜!(笑)」
と言われ、あら、待っててくれる人がいるなんて、なんてありがたい!と感謝、感謝。
書きたいことは色々とあるんですよー。
リアンさんの話とか、歯の話とか、アマンダジェーンが来た話とか、犬の話とか、ひまわりの話とかー、不思議な出来事の話とかー。。。
少しずつアップして行きますので、またよろしくおねがいします!!!
Monday, April 16, 2012
久しぶりの日本語クラス
直傳靈氣を教えさせて頂くという天職を授かってから、5年。
カナダに住んでいる、しかもバンクーバー郊外の田舎町に住んでいるということも
あって、今まで教えて来たクラスのほとんどは、英語でのクラス。
日本語でのクラスは、数えられる程度。
しかし、この週末は、2年振りの直傳靈氣、日本語クラスでした!
今回で、え〜っと、、、、たったの4回目???
毎回、3〜4人くらいの小さなクラスだけど、英語でのクラスは、1〜2ヶ月に一回
開催しているので、5年の間で4回というのは、やっぱ頻度としては低い。
我が母国語で、天職をさせて頂くということに、これほど喜びと興奮と
それから緊張を感じるとは、思ってませんでした。
「緊張」
靈氣は、日本から伝わって来た教えだし、私の母国語は日本語だし、
受講者の皆さんもみんな日本人だし、さぞかしやりやすいのだろう、と思いきや、
これが結構難しかった。
英語のクラスに慣れてしまっているせいか、
「これって、日本語でなんていうんだろう?」ってことが結構多かったんです。
しかも、漢字が書けない!!! ホワイトボードを使って、講義を進める
のだけど、PCで文字を打つことに慣れてしまっている私は、例えば、
「治療」とかいう漢字が、出て来ない。。。
そして、テキストブックを読むのも、おぼつかない。しかも、旧式の文章で、
「如何や」とか、「痼疾」なんて文字が出てくると、(皆さん、読めますか〜?)
つまってしまう。どもってしまう。
わー、貫禄なーい。
「喜び」
靈氣は、日本発祥の治療法で、第二次世界大戦前は、日本全国1億人以上の
施術者がいて、「靈氣屋さん」という看板をあげて商売をしている人も多かった
そうです。「按摩屋さん」という感覚ですよネ。
でも、戦後アメリカ政府の影響で、そういう手当て療法が弾圧を受けてしまったこと
もあり、靈氣の影はすっかり薄らいでしまいました。
しかし、日本で薄らいでしまった靈氣は、欧米ではかなり知られていて、多くの
人がプラクティショナー(施術者)やティーチャー(講師)として、活躍し続けて
いますので、ここでも、カナダ人には結構受け入れられるんですね。
靈氣の漢字のせいもあるかもしれないけど、「幽霊の気?」ってとられるのか、
変な宗教と間違えられがちなのか、なぜか、日本発祥の靈氣療法は、現代の日本人には、
あんまり受け入れられないのが事実なんです。
だから、今回5人もの方が受講して下さったことに、純粋に喜びを
感じる、この週末でした!
もう一つの喜びは、なんと言っても、毎回お世話になります、
雅子さんのケータリング。 これは、私の靈氣クラスには欠かせない味なのです。
今回は、Yさんのビーガン食のリクエストにお答えして、雅子さんも想像力を
豊かに、こーんな感じでした。
手鞠寿司(手巻き寿司のタイピングミスかと思いきや、ほんとに手鞠のような
お寿司でした!)。
カボチャのまんまるコロッケ、揚げナス、オクラ、きんぴらごぼう、
シャキシャキいんげん、切り干し大根、お豆の甘煮、そして、イチゴ大福!
美味しかった〜〜〜!
玄米菜食という言葉もあるくらい、日本食は原点に戻ると実はベジタリアン
なんですよねー! 肉を食べる習慣も、牛乳を飲む習慣も、欧米の食生活の
影響であって、日本はもともと農耕民族ですからねー。
ビーガン食をリクエストされた、Y子さんの話によると、マクロビオティックスという
こちらではよく聞く菜食療法は、日本発祥の玄米菜食が原点だそうです。
なんでも、カタカナにすると流行るのかなー。
靈氣もレイキだと受け入れらやすいみたいだし。
「興奮」
これは、毎度のことなのですが、初めて靈氣を習ったという人も、クラスを取ると、
すぐに使えるようになる、この靈氣療法。
今回は、一日目のクラスで、時間が経つにつれてお腹の痛みがひどくなってきて、
堪え難いくらいになってしまった、Y子さん。 最後の練習時間の時に、控えめに、
「あの、、お腹痛いんで、練習台になってもいいですか。。。?」とのこと。
あー、これはいいチャンス、いいチャンス。
「靈氣の治療の練習だけど、25分も受ければ、きっと良くなると思いますので、
最初に受けてくださいねー。」
といっても、施術者のお二人は、靈氣を習って一日目の、初心者さん達。
Y子さんも、お二人も、ほんとかなー、という感じ。
25分経ちました。
「Y子さん、どうですか〜?」
Y子さん:「、、、っていうか、これ、どういうこと? お腹、全然痛くないんだけど。
なんで?さっき、ほんと耐えられないくらい、痛かったんだけど。今、痛くない。」
初心者さんのお二人も、Yさんも大喜び!
「いやー、ほーんとに効いた効いた〜!」なーんて、教えた私も大喜び、パチパチ。
これが、私にとって、興奮の瞬間なんですー。
こーんな、シンプルで誰にでも出来て、効果がある靈氣療法、
ほんとに色んな人に知ってもらいたいし、使えるようになってもらえたら、
世の中が、すごく優しくなるんじゃないかって思うんです。
子供が怪我や病気をした時に、子供が何歳であっても、添い寝して、頭やお腹に
お母さんの手のぬくもりを感じながら眠ることの方が、どんなに子供にとって心強いか。
お母さんじゃなくたって、人の手って、やっぱり、優しいんですよ。
人に触れられるっていうのは、ハッとするような、グッとくるような、
時にはドキってするような。
(お前は、田原俊彦か。ハッとしてー、グッときてー、、、古っ。)
カナダに住んでいる、しかもバンクーバー郊外の田舎町に住んでいるということも
あって、今まで教えて来たクラスのほとんどは、英語でのクラス。
日本語でのクラスは、数えられる程度。
しかし、この週末は、2年振りの直傳靈氣、日本語クラスでした!
今回で、え〜っと、、、、たったの4回目???
毎回、3〜4人くらいの小さなクラスだけど、英語でのクラスは、1〜2ヶ月に一回
開催しているので、5年の間で4回というのは、やっぱ頻度としては低い。
我が母国語で、天職をさせて頂くということに、これほど喜びと興奮と
それから緊張を感じるとは、思ってませんでした。
「緊張」
靈氣は、日本から伝わって来た教えだし、私の母国語は日本語だし、
受講者の皆さんもみんな日本人だし、さぞかしやりやすいのだろう、と思いきや、
これが結構難しかった。
英語のクラスに慣れてしまっているせいか、
「これって、日本語でなんていうんだろう?」ってことが結構多かったんです。
しかも、漢字が書けない!!! ホワイトボードを使って、講義を進める
のだけど、PCで文字を打つことに慣れてしまっている私は、例えば、
「治療」とかいう漢字が、出て来ない。。。
そして、テキストブックを読むのも、おぼつかない。しかも、旧式の文章で、
「如何や」とか、「痼疾」なんて文字が出てくると、(皆さん、読めますか〜?)
つまってしまう。どもってしまう。
わー、貫禄なーい。
「喜び」
靈氣は、日本発祥の治療法で、第二次世界大戦前は、日本全国1億人以上の
施術者がいて、「靈氣屋さん」という看板をあげて商売をしている人も多かった
そうです。「按摩屋さん」という感覚ですよネ。
でも、戦後アメリカ政府の影響で、そういう手当て療法が弾圧を受けてしまったこと
もあり、靈氣の影はすっかり薄らいでしまいました。
しかし、日本で薄らいでしまった靈氣は、欧米ではかなり知られていて、多くの
人がプラクティショナー(施術者)やティーチャー(講師)として、活躍し続けて
いますので、ここでも、カナダ人には結構受け入れられるんですね。
靈氣の漢字のせいもあるかもしれないけど、「幽霊の気?」ってとられるのか、
変な宗教と間違えられがちなのか、なぜか、日本発祥の靈氣療法は、現代の日本人には、
あんまり受け入れられないのが事実なんです。
だから、今回5人もの方が受講して下さったことに、純粋に喜びを
感じる、この週末でした!
もう一つの喜びは、なんと言っても、毎回お世話になります、
雅子さんのケータリング。 これは、私の靈氣クラスには欠かせない味なのです。
今回は、Yさんのビーガン食のリクエストにお答えして、雅子さんも想像力を
豊かに、こーんな感じでした。
手鞠寿司(手巻き寿司のタイピングミスかと思いきや、ほんとに手鞠のような
お寿司でした!)。
スモークサーモンとインゲンの手鞠寿司。 |
カボチャのまんまるコロッケ、揚げナス、オクラ、きんぴらごぼう、
シャキシャキいんげん、切り干し大根、お豆の甘煮、そして、イチゴ大福!
美味しかった〜〜〜!
まるでお正月のようでした! |
なんですよねー! 肉を食べる習慣も、牛乳を飲む習慣も、欧米の食生活の
影響であって、日本はもともと農耕民族ですからねー。
ビーガン食をリクエストされた、Y子さんの話によると、マクロビオティックスという
こちらではよく聞く菜食療法は、日本発祥の玄米菜食が原点だそうです。
なんでも、カタカナにすると流行るのかなー。
靈氣もレイキだと受け入れらやすいみたいだし。
「興奮」
これは、毎度のことなのですが、初めて靈氣を習ったという人も、クラスを取ると、
すぐに使えるようになる、この靈氣療法。
今回は、一日目のクラスで、時間が経つにつれてお腹の痛みがひどくなってきて、
堪え難いくらいになってしまった、Y子さん。 最後の練習時間の時に、控えめに、
「あの、、お腹痛いんで、練習台になってもいいですか。。。?」とのこと。
あー、これはいいチャンス、いいチャンス。
「靈氣の治療の練習だけど、25分も受ければ、きっと良くなると思いますので、
最初に受けてくださいねー。」
といっても、施術者のお二人は、靈氣を習って一日目の、初心者さん達。
Y子さんも、お二人も、ほんとかなー、という感じ。
25分経ちました。
「Y子さん、どうですか〜?」
Y子さん:「、、、っていうか、これ、どういうこと? お腹、全然痛くないんだけど。
なんで?さっき、ほんと耐えられないくらい、痛かったんだけど。今、痛くない。」
初心者さんのお二人も、Yさんも大喜び!
「いやー、ほーんとに効いた効いた〜!」なーんて、教えた私も大喜び、パチパチ。
これが、私にとって、興奮の瞬間なんですー。
こーんな、シンプルで誰にでも出来て、効果がある靈氣療法、
ほんとに色んな人に知ってもらいたいし、使えるようになってもらえたら、
世の中が、すごく優しくなるんじゃないかって思うんです。
子供が怪我や病気をした時に、子供が何歳であっても、添い寝して、頭やお腹に
お母さんの手のぬくもりを感じながら眠ることの方が、どんなに子供にとって心強いか。
お母さんじゃなくたって、人の手って、やっぱり、優しいんですよ。
人に触れられるっていうのは、ハッとするような、グッとくるような、
時にはドキってするような。
(お前は、田原俊彦か。ハッとしてー、グッときてー、、、古っ。)
心に届くんだと思うんです。
Friday, April 6, 2012
通訳という使命 3
通訳のお仕事。
これが結構大変だって’やっと’気づいたのは、3年目くらいから。
2008年の1回目は、興奮のあまり、緊張する暇もなく、それよりも、
子育てから離れて4日間、外出するということが、とてもワクワクだったんです。
しかし、セミナーが終わってからは、40.2度の高熱を出して、救急病院に
運ばれました。。。頭の使い過ぎの知恵熱ってやつでしょうか。
2009年の2回目は、1回目の興奮覚めやらず、セミナーの企画兼通訳係だけでなく、
引き続き夜にトークショーなんかもやったりして、それでも、全然オッケーでした。
しかし、セミナーが終わると、もうぐったりで、2、3日は使い物にならない
お母さん。 夕食は、ピザか納豆ご飯。 洗濯もする氣になれず。
2010年には、シアトルにも行かせて頂き、通訳させて頂きました。この時は、
セミナーの企画は他の方担当でしたので、私はお気楽に通訳するだけで、
結構へっちゃらな感じでした。
しかし、やっぱりセミナーが終わると、もうぐったり。
通訳くらいで、疲れるなんて、私も年を取って来たのか。
くらいにしか思ってませんでした。
そうそう、私がさせて頂いている直傳靈氣の通訳は、同時通訳ではなく、逐次通訳というもので、相手が一文話した後に、その文を翻訳して話すというやり方で、時間はかかるけど、内容は正確に伝わるやり方なんです。 というか、私にはとてもじゃないけど、
同時通訳はできませんっ!
直傳靈氣のセミナーには、英語のみ話す人、日本語のみ話す人、英語、日本語両方
わかる人が、全部混ざって参加されます。
なので、山口先生が日本語で話すと、それを私が英語に訳す。
英語の質問があると、私が日本語に訳して、先生に伝える。
先生が日本語で答えて、私が英語に訳して、受講者に伝える。
日本語の質問があった場合は、英語に訳して、他の受講生が会話に入るようにする。
先生が日本語で答えるので、それを英語に訳す。
私の頭の中では、4倍もの会話が行ったり来たりしていて、
もう、水を飲む暇も、息をする暇もないくらい、通訳の私は一つ一つの文章に
耳を傾け、どうやって訳すと一番わかりやすいかを、考えながら聞いています。
そして、日本語というのは、奥が深いもので、例えば、
「いただきます」という一言を訳そうとすると、
”Thank you for the nature, Thank you for the farmer, thank you for the cook, thank you
for the life in the food that gives us the life."
先生が立って講義をしているのに、
私は横で座って通訳。 なんとなく無礼なような氣がしてならないのだけど、
私が強くないと、セミナーが成り立たないので、自分のペースを守らねば!
ということで、年に一、二回の私の通訳係という使命は、まだまだ続きます!
これが結構大変だって’やっと’気づいたのは、3年目くらいから。
2008年の1回目は、興奮のあまり、緊張する暇もなく、それよりも、
子育てから離れて4日間、外出するということが、とてもワクワクだったんです。
師範コースを取った時から通訳をさせて頂きました。 |
しかし、セミナーが終わってからは、40.2度の高熱を出して、救急病院に
運ばれました。。。頭の使い過ぎの知恵熱ってやつでしょうか。
2009年の2回目は、1回目の興奮覚めやらず、セミナーの企画兼通訳係だけでなく、
引き続き夜にトークショーなんかもやったりして、それでも、全然オッケーでした。
セミナー後に直傳靈氣の講演会も |
しかし、セミナーが終わると、もうぐったりで、2、3日は使い物にならない
お母さん。 夕食は、ピザか納豆ご飯。 洗濯もする氣になれず。
2010年のセミナーの時 |
2010年には、シアトルにも行かせて頂き、通訳させて頂きました。この時は、
セミナーの企画は他の方担当でしたので、私はお気楽に通訳するだけで、
結構へっちゃらな感じでした。
しかし、やっぱりセミナーが終わると、もうぐったり。
通訳くらいで、疲れるなんて、私も年を取って来たのか。
くらいにしか思ってませんでした。
そうそう、私がさせて頂いている直傳靈氣の通訳は、同時通訳ではなく、逐次通訳というもので、相手が一文話した後に、その文を翻訳して話すというやり方で、時間はかかるけど、内容は正確に伝わるやり方なんです。 というか、私にはとてもじゃないけど、
同時通訳はできませんっ!
直傳靈氣のセミナーには、英語のみ話す人、日本語のみ話す人、英語、日本語両方
わかる人が、全部混ざって参加されます。
なので、山口先生が日本語で話すと、それを私が英語に訳す。
英語の質問があると、私が日本語に訳して、先生に伝える。
先生が日本語で答えて、私が英語に訳して、受講者に伝える。
日本語の質問があった場合は、英語に訳して、他の受講生が会話に入るようにする。
先生が日本語で答えるので、それを英語に訳す。
私の頭の中では、4倍もの会話が行ったり来たりしていて、
もう、水を飲む暇も、息をする暇もないくらい、通訳の私は一つ一つの文章に
耳を傾け、どうやって訳すと一番わかりやすいかを、考えながら聞いています。
そして、日本語というのは、奥が深いもので、例えば、
「いただきます」という一言を訳そうとすると、
”Thank you for the nature, Thank you for the farmer, thank you for the cook, thank you
for the life in the food that gives us the life."
長いんです。
日本語だったら、一言で済む言葉が、英語に訳すと、文化の違いから説明しなくては
いけなく、一言で済まない言葉がたくさんあって、私の脳みそはフル回転になります。
いけなく、一言で済まない言葉がたくさんあって、私の脳みそはフル回転になります。
通訳のコースとか取ったことないので、他の方がどうしているのかは
知らないのだけど、きっと、みんなこんなもんなんだろうなー。
そんな通訳も、楽しくて充実感溢れるお仕事なので、喜んでさせて頂いていますが、
2011年は、ちょっと無理をし過ぎて、いつもだったら、4日で済むセミナーが
師範コースもやり始めたので、合計6日間になり、しかも2011年は受講希望者が
多かったので、2セットのセミナーをやったんですね。
一日8〜10時間の通訳を、6日間ぶっ続けてやったあと、一日開けて、
倒れそうになりました。
これはさすがに、脳みそに無理が来たようで、このセミナーが終わった後は、
2ヶ月くらい、脳が巧く機能せずに、思考能力ゼロ。簡単な決断が出来ないし、
会話に集中出来ないし、会話が理解できないし、他の人の脳みそに取り替えられた
ような感じでした。
会話に集中出来ないし、会話が理解できないし、他の人の脳みそに取り替えられた
ような感じでした。
そして、2011年秋は、ハリファックスへ。
これも、通訳のみでお気楽な立場。楽しく充実して、元気にセミナーを終えたはずが、
6日間のセミナーを終えて、帰路に立った私は、飛行場で猛烈な頭痛に襲われ、飛行機の中で嘔吐。
6日間のセミナーを終えて、帰路に立った私は、飛行場で猛烈な頭痛に襲われ、飛行機の中で嘔吐。
ぐったりでした。
いつも、セミナー後にこんなになってしまう私は、かなり自己嫌悪に落ち入って、
「通訳くらいで、貧血おこしたり、理解能力を失ったりするなんて、私も
落ちぶれたものだ。もっと、強くならねば!」と自分を責めました。
でも、同時に、
「ちょっと待てよ? 他の通訳の人は、どんな感じで通訳の仕事を
やってるんだろう? 他の通訳の人も、疲れたりするのだろうか?」
という自問がわき、調べてみました。
そしたら、Wikipedia の通訳の部分を見ると、
”同時通訳作業は非常に重い負荷を通訳者に要求するため、2人ないしは3人が同時に
ブースに入り15分程度の間隔で交代する。”
ブースに入り15分程度の間隔で交代する。”
「ええええ〜〜〜っ? 2人ないしは3人が同時に
ブースに入り、15分程度の間隔で交代?」
はいはい、どうりで私が疲れるわけだ。受講生から先生へ個人的な質問があると、私が間に入って、会話。休憩時間もランチタイムも、あって、ないようなもの。
時には夕食会もあるので、一日8〜10時間、ぶっ通しで会話。
いや、私の場合は同時通訳ではないし、国際会議でもないけど、それでも、通訳者の
負担軽減のため、普通は少なくとも2〜3時間に一回交代で通訳の仕事は行われる、
ということ。
という事実を知って、ちょっと氣が楽に。
なので、2012年のセミナーでは、今まで氣が引けて出来なかったことを
試みました。
「手助けを求める。」
人からの手助けというものが、こんなにも有り難いものだったのかということを
改めて実感しました!
この時に手伝ってくれた、方達に心から感謝です!
”本当にありがとうございました!!!”
それから、「先生の了解を得て、座って通訳させて頂く。」
先生が立って講義をしているのに、
私は横で座って通訳。 なんとなく無礼なような氣がしてならないのだけど、
私が強くないと、セミナーが成り立たないので、自分のペースを守らねば!
そして、「休憩時間は、休憩する!」
これで、かなり問題解決になりました!
2012年バンクーバーセミナーでは、倒れることもなく、セミナー後に
思考能力を失うこともなく、無事に普通の生活に戻ることが出来たのが、
ほんとに嬉しかった〜!
ということで、年に一、二回の私の通訳係という使命は、まだまだ続きます!
Thursday, April 5, 2012
通訳という使命 2
通訳。
私の古い記憶にあるテレビ番組では、マイケルジャクソンやマドンナが
来日した時に、必ず彼らの斜め後ろにひっそりと立っている女の人達。
司会者の質問を英訳して伝え、マイケルの答えを和訳して私たちに伝える。
「彼らの仕事は、責任重大だなー。だって、テレビの前で見てる人達の中で
英語も日本語もわかる人がいるだろうに、もし間違えて訳してたり、内容を
飛ばして訳してたら、速攻苦情の電話が入るだろうなー。」なんて
思ったりしてました。
私のこの通訳というお仕事は、一年に1、2回のみ。家での会話は、
私が日本語を話し、子供達からの返事はほとんど英語。そして、ダンナ様との
会話は、99%英語。 使う日本語といったら、
いただきます、ありがとう、ごめんね、行ってらっしゃい、おかえり、
愛してるよ、ちょっとだけ。などなど。
それから、日本食の名前は、日本語かなー。わかめ、みそ、こんぶ、みりん、
のり、てんぷら、ごはん、などなど。
子供に日本語で話した内容が、伝わってないようだったら、英語に変えて
もう一度話す、というのも我が家の習慣。
あー、でも、これは、今となってはちょっと失敗だったかなーって思います。日本語の
理解力も少しずつ落ちて来ている我が家の子供達。ずっと、日本語だけ話しときゃ良かった、って時々思います。
なにはともあれ、私の通訳のお仕事は、直傳靈氣を習い始めて3年目(カナダに
来て、9年目)に訪れました。
私が直傳靈氣を始めたのは、2006年。その頃は、カナダでセミナーが開催されて
いたけれど、日本人のみの対象でした。 次の年の2007年も日本人のみ。
その時に、
「山口先生、せっかくカナダまで来てセミナーするんですから、カナダ人対象に
セミナーをされたらどうですか?」
と聞いたら、
「やりたいのは山々だけど、自分は英語が話せないから、通訳が必要なんですよ。」
とのこと。
という軽い気持ちで、
「私でよろしかったら、是非通訳させて下さい。免許も何も持ってませんけど、
出来ると思います。」
ということで、その次の年の2008年、バンクーバーで初めて、英語セミナー
を開催することが出来ました。
その時の達成感といったら、ほんとに言葉に表せないくらいで、
ほんとに嬉しかった!
私の古い記憶にあるテレビ番組では、マイケルジャクソンやマドンナが
来日した時に、必ず彼らの斜め後ろにひっそりと立っている女の人達。
司会者の質問を英訳して伝え、マイケルの答えを和訳して私たちに伝える。
「彼らの仕事は、責任重大だなー。だって、テレビの前で見てる人達の中で
英語も日本語もわかる人がいるだろうに、もし間違えて訳してたり、内容を
飛ばして訳してたら、速攻苦情の電話が入るだろうなー。」なんて
思ったりしてました。
私のこの通訳というお仕事は、一年に1、2回のみ。家での会話は、
私が日本語を話し、子供達からの返事はほとんど英語。そして、ダンナ様との
会話は、99%英語。 使う日本語といったら、
いただきます、ありがとう、ごめんね、行ってらっしゃい、おかえり、
愛してるよ、ちょっとだけ。などなど。
それから、日本食の名前は、日本語かなー。わかめ、みそ、こんぶ、みりん、
のり、てんぷら、ごはん、などなど。
子供に日本語で話した内容が、伝わってないようだったら、英語に変えて
もう一度話す、というのも我が家の習慣。
あー、でも、これは、今となってはちょっと失敗だったかなーって思います。日本語の
理解力も少しずつ落ちて来ている我が家の子供達。ずっと、日本語だけ話しときゃ良かった、って時々思います。
なにはともあれ、私の通訳のお仕事は、直傳靈氣を習い始めて3年目(カナダに
来て、9年目)に訪れました。
私が直傳靈氣を始めたのは、2006年。その頃は、カナダでセミナーが開催されて
いたけれど、日本人のみの対象でした。 次の年の2007年も日本人のみ。
その時に、
「山口先生、せっかくカナダまで来てセミナーするんですから、カナダ人対象に
セミナーをされたらどうですか?」
と聞いたら、
「やりたいのは山々だけど、自分は英語が話せないから、通訳が必要なんですよ。」
とのこと。
”わたし、家では一応両方話しているし、内容をわかっていることを
通訳するくらいだったら、出来るんじゃないかなー。(なんという浅はかな。)”
という軽い気持ちで、
「私でよろしかったら、是非通訳させて下さい。免許も何も持ってませんけど、
出来ると思います。」
ということで、その次の年の2008年、バンクーバーで初めて、英語セミナー
を開催することが出来ました。
その時の達成感といったら、ほんとに言葉に表せないくらいで、
ほんとに嬉しかった!
「9年前は、”トイレどこですか?”くらいしか、パーフェクトに
話せなかったのに、人様のクラスの通訳が出来るようになったなんて!」
ほんと、自分で自分の肩をたたいて、
「よくやった!」
って言ってあげたかった瞬間でした。
続く。
Sunday, March 25, 2012
通訳という使命 1
私がカナダに来たのは1999年8月。
私がカナダ生まれであること、(2歳半で日本に帰って来ているので、その頃の記憶や
英語力なんかは、全くありません。。。)、母がクリスチャン系の学校を卒業している
ことで、外国人宣教師さん達やそのお弟子さん達に出会うこともしょっちゅうだったこと、
長崎には古い教会がいくつかあり、その昔は隠れキリシタンなどでも有名な土地柄だし、
長崎県には佐世保市に米軍基地があり、週末になると多くの外国人を見かけることも
多かったので、私自身は英語を話そうとする興味が人より強かったように
覚えています。
かといって、英語が達者だったかというと、そうでもなかった。。。
1999年からカナダに1年滞在してみようと決めた時からは、外国から輸入されて
きたドラマを見ながら英会話の理解力を鍛えようと頑張りました。その頃、好きだった
ドラマは「ビバリーヒルズ高校白書」と、「アリー My Love」。
私がカナダ生まれであること、(2歳半で日本に帰って来ているので、その頃の記憶や
英語力なんかは、全くありません。。。)、母がクリスチャン系の学校を卒業している
ことで、外国人宣教師さん達やそのお弟子さん達に出会うこともしょっちゅうだったこと、
長崎には古い教会がいくつかあり、その昔は隠れキリシタンなどでも有名な土地柄だし、
長崎県には佐世保市に米軍基地があり、週末になると多くの外国人を見かけることも
多かったので、私自身は英語を話そうとする興味が人より強かったように
覚えています。
かといって、英語が達者だったかというと、そうでもなかった。。。
1999年からカナダに1年滞在してみようと決めた時からは、外国から輸入されて
きたドラマを見ながら英会話の理解力を鍛えようと頑張りました。その頃、好きだった
ドラマは「ビバリーヒルズ高校白書」と、「アリー My Love」。
「ビバリーヒルズ高校白書」
「アリー マイラブ」
ビデオにダビング(ダビングという言葉すら古く感じますねー)して、まずは
英語のみで観て、意味がわからずも全て観る。それから、日本語のみに吹き替えて、
全て観る。 何を言っているのか意味がわかってから、もう一度英語のみで観る。
というのを、何度も何度も繰り返しては英語の勉強をしていました。
が、しかし、この勉強法の欠点は、聞くことは出来ても、会話が出来ない。
そんなことには気づかずに、会話がわかった、わかったと、大満足しながら、
いざカナダに到着。 そして、やっと気づいた。
「話せない。」
相手の言ってることは、何となくわかるのだけど、自分が言いたいことが
言えない〜〜〜!
なんて言おうかと、頭の中で文法を作っているうちに、会話は進み、やっと
言いたいことが頭の中で出来たころには、もう遅い。次の会話に入るにも
入れず、ただ静かにしているだけ。
そんなこんなで、最初の3日は脳みそ痛が続いたんです。これは、明らかに頭痛とは
違う痛みで、なんというか脳みその筋肉痛のような、そんな感じ。
多分、今まで使ったことのない脳みその言語部分をいきなり使い始めて、
脳が驚いてしまったのでしょう。
しかも、私は日本からこのチリワックという田舎街にいきなり来たので、
日本語を話す相手がいない生活が4ヶ月続いた。 やっとのことで、たった
一人の日本人に知り合い、その人を訪ねて、バンクーバーという大きな街に
出向いてみたら、まー、日本人の多さに驚き、そして、自分の日本語が衰えている
ことにも驚いたんです。
「えーっと、飛行機が飛んだり降りたりする場所ってなんて言葉だったっけ?」
「、、、。飛行場のこと???」
「あー、そうそう、飛行場、飛行場!」たった4ヶ月日本語を話さなかっただけで、
飛行場というシンプルな言葉を忘れてしまうなんて、どういうこと???
英語力はボチボチ伸びていったものの、日本語の方は衰え、
「あたしの言語能力はどうなっちゃうのぉ〜?」と不安になったものです。
そうこうしながら、1年がすぎ、日本に帰ることになりました。
今は2012年。
あれから13年が経とうとしていますが、その頃からすると、今のお仕事を
するようになるなんて、想像もつきませんでした。
それは、「通訳」というお仕事。
続く。
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