Monday, April 16, 2012

久しぶりの日本語クラス

直傳靈氣を教えさせて頂くという天職を授かってから、5年。


カナダに住んでいる、しかもバンクーバー郊外の田舎町に住んでいるということも
あって、今まで教えて来たクラスのほとんどは、英語でのクラス。
日本語でのクラスは、数えられる程度。


しかし、この週末は、2年振りの直傳靈氣、日本語クラスでした!
今回で、え〜っと、、、、たったの4回目??? 


毎回、3〜4人くらいの小さなクラスだけど、英語でのクラスは、1〜2ヶ月に一回
開催しているので、5年の間で4回というのは、やっぱ頻度としては低い。




我が母国語で、天職をさせて頂くということに、これほど喜びと興奮と
それから緊張を感じるとは、思ってませんでした。


「緊張」
靈氣は、日本から伝わって来た教えだし、私の母国語は日本語だし、
受講者の皆さんもみんな日本人だし、さぞかしやりやすいのだろう、と思いきや、
これが結構難しかった。


英語のクラスに慣れてしまっているせいか、
「これって、日本語でなんていうんだろう?」ってことが結構多かったんです。


しかも、漢字が書けない!!! ホワイトボードを使って、講義を進める
のだけど、PCで文字を打つことに慣れてしまっている私は、例えば、
「治療」とかいう漢字が、出て来ない。。。


そして、テキストブックを読むのも、おぼつかない。しかも、旧式の文章で、
「如何や」とか、「痼疾」なんて文字が出てくると、(皆さん、読めますか〜?)
つまってしまう。どもってしまう。


わー、貫禄なーい。




「喜び」
靈氣は、日本発祥の治療法で、第二次世界大戦前は、日本全国1億人以上の
施術者がいて、「靈氣屋さん」という看板をあげて商売をしている人も多かった
そうです。「按摩屋さん」という感覚ですよネ。
でも、戦後アメリカ政府の影響で、そういう手当て療法が弾圧を受けてしまったこと
もあり、靈氣の影はすっかり薄らいでしまいました。


しかし、日本で薄らいでしまった靈氣は、欧米ではかなり知られていて、多くの
人がプラクティショナー(施術者)やティーチャー(講師)として、活躍し続けて
いますので、ここでも、カナダ人には結構受け入れられるんですね。


靈氣の漢字のせいもあるかもしれないけど、「幽霊の気?」ってとられるのか、
変な宗教と間違えられがちなのか、なぜか、日本発祥の靈氣療法は、現代の日本人には、
あんまり受け入れられないのが事実なんです。


だから、今回5人もの方が受講して下さったことに、純粋に喜び
感じる、この週末でした!


もう一つの喜びは、なんと言っても、毎回お世話になります、
雅子さんのケータリング。 これは、私の靈氣クラスには欠かせない味なのです。


今回は、Yさんのビーガン食のリクエストにお答えして、雅子さんも想像力を
豊かに、こーんな感じでした。 
手鞠寿司(手巻き寿司のタイピングミスかと思いきや、ほんとに手鞠のような
お寿司でした!)。
スモークサーモンとインゲンの手鞠寿司。




カボチャのまんまるコロッケ、揚げナス、オクラ、きんぴらごぼう、
シャキシャキいんげん、切り干し大根、お豆の甘煮、そして、イチゴ大福!


美味しかった〜〜〜!


まるでお正月のようでした!
 玄米菜食という言葉もあるくらい、日本食は原点に戻ると実はベジタリアン
なんですよねー! 肉を食べる習慣も、牛乳を飲む習慣も、欧米の食生活の
影響であって、日本はもともと農耕民族ですからねー。
ビーガン食をリクエストされた、Y子さんの話によると、マクロビオティックスという
こちらではよく聞く菜食療法は、日本発祥の玄米菜食が原点だそうです。
なんでも、カタカナにすると流行るのかなー。
靈氣もレイキだと受け入れらやすいみたいだし。




「興奮」


これは、毎度のことなのですが、初めて靈氣を習ったという人も、クラスを取ると、
すぐに使えるようになる、この靈氣療法。


今回は、一日目のクラスで、時間が経つにつれてお腹の痛みがひどくなってきて、
堪え難いくらいになってしまった、Y子さん。 最後の練習時間の時に、控えめに、
「あの、、お腹痛いんで、練習台になってもいいですか。。。?」とのこと。


あー、これはいいチャンス、いいチャンス。 
「靈氣の治療の練習だけど、25分も受ければ、きっと良くなると思いますので、
最初に受けてくださいねー。」


といっても、施術者のお二人は、靈氣を習って一日目の、初心者さん達。
Y子さんも、お二人も、ほんとかなー、という感じ。


25分経ちました。


「Y子さん、どうですか〜?」


Y子さん:「、、、っていうか、これ、どういうこと? お腹、全然痛くないんだけど。
なんで?さっき、ほんと耐えられないくらい、痛かったんだけど。今、痛くない。」


初心者さんのお二人も、Yさんも大喜び!


「いやー、ほーんとに効いた効いた〜!」なーんて、教えた私も大喜び、パチパチ。


これが、私にとって、興奮の瞬間なんですー。




こーんな、シンプルで誰にでも出来て、効果がある靈氣療法、
ほんとに色んな人に知ってもらいたいし、使えるようになってもらえたら、
世の中が、すごく優しくなるんじゃないかって思うんです。


子供が怪我や病気をした時に、子供が何歳であっても、添い寝して、頭やお腹に
お母さんの手のぬくもりを感じながら眠ることの方が、どんなに子供にとって心強いか。




お母さんじゃなくたって、人の手って、やっぱり、優しいんですよ。




人に触れられるっていうのは、ハッとするような、グッとくるような、
時にはドキってするような。
(お前は、田原俊彦か。ハッとしてー、グッときてー、、、古っ。)






心に届くんだと思うんです。


 

Friday, April 6, 2012

通訳という使命 3

通訳のお仕事。


これが結構大変だって’やっと’気づいたのは、3年目くらいから。


2008年の1回目は、興奮のあまり、緊張する暇もなく、それよりも、
子育てから離れて4日間、外出するということが、とてもワクワクだったんです。
師範コースを取った時から通訳をさせて頂きました。




しかし、セミナーが終わってからは、40.2度の高熱を出して、救急病院に
運ばれました。。。頭の使い過ぎの知恵熱ってやつでしょうか。




2009年の2回目は、1回目の興奮覚めやらず、セミナーの企画兼通訳係だけでなく、
引き続き夜にトークショーなんかもやったりして、それでも、全然オッケーでした。

セミナー後に直傳靈氣の講演会も







しかし、セミナーが終わると、もうぐったりで、2、3日は使い物にならない
お母さん。 夕食は、ピザか納豆ご飯。 洗濯もする氣になれず。




2010年のセミナーの時


2010年には、シアトルにも行かせて頂き、通訳させて頂きました。この時は、
セミナーの企画は他の方担当でしたので、私はお気楽に通訳するだけで、
結構へっちゃらな感じでした。
しかし、やっぱりセミナーが終わると、もうぐったり。


通訳くらいで、疲れるなんて、私も年を取って来たのか。
くらいにしか思ってませんでした。




 そうそう、私がさせて頂いている直傳靈氣の通訳は、同時通訳ではなく、逐次通訳というもので、相手が一文話した後に、その文を翻訳して話すというやり方で、時間はかかるけど、内容は正確に伝わるやり方なんです。 というか、私にはとてもじゃないけど、
同時通訳はできませんっ!




 直傳靈氣のセミナーには、英語のみ話す人、日本語のみ話す人、英語、日本語両方
わかる人が、全部混ざって参加されます。
なので、山口先生が日本語で話すと、それを私が英語に訳す。
英語の質問があると、私が日本語に訳して、先生に伝える。
先生が日本語で答えて、私が英語に訳して、受講者に伝える。
日本語の質問があった場合は、英語に訳して、他の受講生が会話に入るようにする。
先生が日本語で答えるので、それを英語に訳す。


私の頭の中では、4倍もの会話が行ったり来たりしていて、
もう、水を飲む暇も、息をする暇もないくらい、通訳の私は一つ一つの文章に
耳を傾け、どうやって訳すと一番わかりやすいかを、考えながら聞いています。


そして、日本語というのは、奥が深いもので、例えば、
「いただきます」という一言を訳そうとすると、
”Thank you for the nature, Thank you for the farmer, thank you for the cook, thank you
for the life in the food that gives us the life." 


長いんです。

日本語だったら、一言で済む言葉が、英語に訳すと、文化の違いから説明しなくては
いけなく、一言で済まない言葉がたくさんあって、私の脳みそはフル回転になります。



通訳のコースとか取ったことないので、他の方がどうしているのかは
知らないのだけど、きっと、みんなこんなもんなんだろうなー。


そんな通訳も、楽しくて充実感溢れるお仕事なので、喜んでさせて頂いていますが、
2011年は、ちょっと無理をし過ぎて、いつもだったら、4日で済むセミナーが
師範コースもやり始めたので、合計6日間になり、しかも2011年は受講希望者が
多かったので、2セットのセミナーをやったんですね。
一日8〜10時間の通訳を、6日間ぶっ続けてやったあと、一日開けて、
さらに3日間。


この時まではなんとか大丈夫だったけど、
この後から、徐々に体力が落ちました。


倒れそうになりました。
これはさすがに、脳みそに無理が来たようで、このセミナーが終わった後は、
2ヶ月くらい、脳が巧く機能せずに、思考能力ゼロ。簡単な決断が出来ないし、
会話に集中出来ないし、会話が理解できないし、他の人の脳みそに取り替えられた
ような感じでした。



そして、2011年秋は、ハリファックスへ。
これも、通訳のみでお気楽な立場。楽しく充実して、元気にセミナーを終えたはずが、
6日間のセミナーを終えて、帰路に立った私は、飛行場で猛烈な頭痛に襲われ、飛行機の中で嘔吐。
ぐったりでした。


 いつも、セミナー後にこんなになってしまう私は、かなり自己嫌悪に落ち入って、
「通訳くらいで、貧血おこしたり、理解能力を失ったりするなんて、私も
落ちぶれたものだ。もっと、強くならねば!」と自分を責めました。


でも、同時に、
「ちょっと待てよ? 他の通訳の人は、どんな感じで通訳の仕事を
やってるんだろう? 他の通訳の人も、疲れたりするのだろうか?」

という自問がわき、調べてみました。



そしたら、Wikipedia の通訳の部分を見ると、
  ”同時通訳作業は非常に重い負荷を通訳者に要求するため、2人ないしは3人が同時に
  ブースに入り15分程度の間隔で交代する。”

ええええ〜〜〜っ? 2人ないしは3人が同時に
ブースに入り、15分程度の間隔で交代?」

はいはい、どうりで私が疲れるわけだ。受講生から先生へ個人的な質問があると、私が間に入って、会話。休憩時間もランチタイムも、あって、ないようなもの。
時には夕食会もあるので、一日8〜10時間、ぶっ通しで会話。



いや、私の場合は同時通訳ではないし、国際会議でもないけど、それでも、通訳者の
負担軽減のため、普通は少なくとも2〜3時間に一回交代で通訳の仕事は行われる、
ということ。

という事実を知って、ちょっと氣が楽に。


なので、2012年のセミナーでは、今まで氣が引けて出来なかったことを
試みました。

「手助けを求める。」

人からの手助けというものが、こんなにも有り難いものだったのかということを
改めて実感しました!

この時に手伝ってくれた、方達に心から感謝です!

”本当にありがとうございました!!!”


それから、「先生の了解を得て、座って通訳させて頂く。」




先生が立って講義をしているのに、
私は横で座って通訳。 なんとなく無礼なような氣がしてならないのだけど、
私が強くないと、セミナーが成り立たないので、自分のペースを守らねば!



そして、「休憩時間は、休憩する!」


これで、かなり問題解決になりました!



2012年バンクーバーセミナーでは、倒れることもなく、セミナー後に
思考能力を失うこともなく、無事に普通の生活に戻ることが出来たのが、
ほんとに嬉しかった〜!




ということで、年に一、二回の私の通訳係という使命は、まだまだ続きます!




Thursday, April 5, 2012

通訳という使命 2

通訳。


私の古い記憶にあるテレビ番組では、マイケルジャクソンやマドンナが
来日した時に、必ず彼らの斜め後ろにひっそりと立っている女の人達。


司会者の質問を英訳して伝え、マイケルの答えを和訳して私たちに伝える。
「彼らの仕事は、責任重大だなー。だって、テレビの前で見てる人達の中で
英語も日本語もわかる人がいるだろうに、もし間違えて訳してたり、内容を
飛ばして訳してたら、速攻苦情の電話が入るだろうなー。」なんて
思ったりしてました。


私のこの通訳というお仕事は、一年に1、2回のみ。家での会話は、
私が日本語を話し、子供達からの返事はほとんど英語。そして、ダンナ様との
会話は、99%英語。 使う日本語といったら、
いただきます、ありがとう、ごめんね、行ってらっしゃい、おかえり、
愛してるよ、ちょっとだけ。などなど。


それから、日本食の名前は、日本語かなー。わかめ、みそ、こんぶ、みりん、
のり、てんぷら、ごはん、などなど。


子供に日本語で話した内容が、伝わってないようだったら、英語に変えて
もう一度話す、というのも我が家の習慣。


あー、でも、これは、今となってはちょっと失敗だったかなーって思います。日本語の
理解力も少しずつ落ちて来ている我が家の子供達。ずっと、日本語だけ話しときゃ良かった、って時々思います。




なにはともあれ、私の通訳のお仕事は、直傳靈氣を習い始めて3年目(カナダに
来て、9年目)に訪れました。




私が直傳靈氣を始めたのは、2006年。その頃は、カナダでセミナーが開催されて
いたけれど、日本人のみの対象でした。 次の年の2007年も日本人のみ。
その時に、
「山口先生、せっかくカナダまで来てセミナーするんですから、カナダ人対象に
セミナーをされたらどうですか?」
と聞いたら、
「やりたいのは山々だけど、自分は英語が話せないから、通訳が必要なんですよ。」
とのこと。


”わたし、家では一応両方話しているし、内容をわかっていることを
通訳するくらいだったら、出来るんじゃないかなー。(なんという浅はかな。)”



という軽い気持ちで、
「私でよろしかったら、是非通訳させて下さい。免許も何も持ってませんけど、
出来ると思います。」


ということで、その次の年の2008年、バンクーバーで初めて、英語セミナー
を開催することが出来ました。


その時の達成感といったら、ほんとに言葉に表せないくらいで、
ほんとに嬉しかった!




「9年前は、”トイレどこですか?”くらいしか、パーフェクトに
話せなかったのに、人様のクラスの通訳が出来るようになったなんて!」

ほんと、自分で自分の肩をたたいて、
「よくやった!」

って言ってあげたかった瞬間でした。


続く。