Saturday, December 24, 2011

リアン Day 6

今日も、ドアをノックして、自分で彼女の家に入り込んだ。

リアンの元気な声が中から聞こえて来た。

「おはよー!今お手洗いにいるの。そこに、メモを残しておいたから、
ドアに貼付けてくれるかしら?」

「わかった〜!」

そのメモを見てみると、


”靈氣の施術中です。
どうぞ、邪魔しないでください。
ありがとう。”



そうなんです。とにかく、邪魔が多い。
リアンのことを心配して来てくれる方が多いのは、とても幸せなことなのだけど、
なんだか、訪問者が多すぎる様な感じもしないでもない。 常に誰かが、出入り
して、常に電話がなってる。
ありがたいことですよね。でも、静かな時間も欲しいですよね。

靈氣は、邪魔があろうと、おしゃべりしてようと、本を読んでようと、効くんです。
それが靈氣の良い所。でも、静かに施術を受けて、完全にリラックスすると、
ほんとに気持ちがいいんです。だから、このメモはとてもいいアイディア! 


そして、彼女は、お手洗いからゆっくりでてきました。
歩行器なし。辺りにも見当たらない。


歩行器は、ベッドの横に置いてあって、今日の朝は一度も使われてない様子。
洗濯物が引っかかっていました。



歩行器さん、洗濯物まで抱えてくれて、ありがとう。



彼女が日に日に強くなって来ているの、他人の私が見てもはっきりしてる。
いいことだ、いいことだ。



こうやって、毎日靈氣をしてあげれることに、私はほんとに感謝してる。今までは、
忙しすぎて、こういう風に靈氣をしてあげること、出来なかったもの。
少しの怪我や病気や風邪くらいだったら、一回の靈氣の施術でも随分な効果が
見られるのだけど、彼女のような重い病気だと、一回じゃだめ。毎日、根気づよく
することに意味がある。



きょうは、6日目。


いつものように、頭から施術を始めた。

きょうも、とても不思議な感覚があった。
頭に当てている私の右腕が、ガタガタと震え始めて、多分リアンも感じてると思う。



同じ人に、同じように靈氣をしていても、毎回洗われる症状は違うんです。その時の、その人の体調によって、今日はここを解毒しようとか、今日はここをリラックスさせようとか、
靈氣が勝手に決めてくれます。
こうやって、ガタガタ手が震えること、時々ありますが、これは、その部分に
大変なストレスがたまっていて、氣の流れに反応して、震えと一緒にそのストレスが
抜けてくるんですね。


今、当てている部分は後頭部の部分なので、多分松果体あたりが、疲れてるんだろうな、
と思ってました。


彼女も、昨晩はなかなか寝付けなかったって言ってたし、睡眠不足がこの部分に
たまってしまってるんだろうな、と思った。

その震えというものは、ほんとうにコントロールの効かない震えで、
他人が見ていると、きっと、
「いやぁー、気味悪い。」とか言われそう。でも、良いんです。気にしません。

その震えが治まるのを待ってから、いつものように
腰の部分と、背骨に手を動かしました。



あら、また変な感じ。
今日の靈氣は、忙しいわねー。



私の左腕の上腕部分が、ピクピクひくついて、氣持ちが悪いほど
ピクピクが止まらない。まるで、寝不足の時に、目の下がピクピクして
気持ちが悪い感じと、同じような感覚。

彼女の腕の同じ部分には骨にガン細胞が転移していて、弱くなっている部分。



「この部分って、彼女のガンが骨転移している部分だよなー。」と思いながら、
ピクピクが治まるのを待った。

今日も、リアンはそのまま眠ってしまったので、私は静かに家をでた。
明日は、どうなってるだろう。。。


続く。

リアン Day 5

今日も、ドアをノックして、自分でドアを開けて家に入りました。
すると、


「どうぞ〜!」って元気そうな声が、中から聞こえて来た。あ、いたいた、リアン。


彼女は、キッチンに立っていて、多分朝食代わりのシェイクを飲み終わっている
ところなのだと思う。



(あれ?歩行器は?)って心の中で思った。


歩行器は、キチンの端の方においてあって、遠くから彼女のことを見守っている
感じがした。



一瞬、歩行器の気持ちになってみた。
歩行器って、ご主人様のために、毎日力強く、そして誠実に働きます。そして、
そうやってご主人様を支えることが、幸せなんだと思う。でも、ご主人様の調子が
良くなって、歩行器が要らなくなっても、それはそれで幸せなんだと思う。だって、
支えて来たご主人様が、少しずつ元気になってきてるから。



なんて、謙虚な歩行器さん。


とにかく、リアンに昨日の不思議な感覚のことを聞いて欲しかったので、一緒に
座ってお話した。


彼女は、昨日の施術のあと、私の手が当たっていた所が、すこし筋肉痛
みたいな感覚があるんだってことを話してくれた。

あー、私の感覚と、彼女の体の反応が一致してる。靈氣がその部分に効いていて、
毒素を分解してくれてるんだってことを説明しました。


何時も思うけど、靈氣って不思議。



続く。

Day 4

今日は4日目

リアンの朝、どうだったか知りたいですか?

私がドアを開けた時、ちょうどお手洗いから出て来たところで、キッチンで朝食
代わりのシェイクを飲み終えている所でした。歩行器を使わなくても
歩けてる。。。


少しの距離なら、歩行器無しで歩いてるんです!!!念のため、歩行器を近くに
置いているけど、ほとんど自力で歩いてる!!!

たったの3日前、右足に少しの体重もかけられずに身動きが取れなかったの
覚えてます???





これ、すごいかも。

こんな進歩をこの目で見ることが出来るなんて、なんて光栄なことなんでしょう。




ところで、この3回の施術、実は私に取っては結構きついものでした。というのも、
病院のベッドを使っての施術は、心地よく座るポジションを見つけるのが難しく、
無理に手を伸ばしたりしないといけないんです。

これじゃいけない、ということで、今回はちょっと工夫してみました。


施術中に数回、座っている場所や、手を当てている位置に合わせて、ベッドの高さを調整して、それからクッションを巧く使ってみた。

おお、違う違う。辛くない。

なんでもっと早く考えつかなかったんだー。
施術をしている方が、心地よくなくてはいけない、ということ、常々から
靈氣クラスの受講生さん達にはお伝えしているのに、自分がこうじゃ、いかんいかん。


とにかく、心地よいポジションを整えて、今日も施術を頭から始め、
腕、そして、背骨と骨盤に手を当てて、70分ほどの施術を終えました。




今日は、とても面白い感覚があったんです。



私の手は、彼女の体の下敷きになる感じになっていました。5〜6分たったころから、
彼女の背骨に近い方の私の手が、なんだか彼女の体の中にある様な感覚がするんです。


なんというか、こう、私の手の周りに、彼女の筋肉や臓器が囲んでいる感じで、
特に親指と人差し指は、彼女の体の中の何かをつかんで居る様な形に
なっている、「感覚」があるんです。 思わず、目を開けて確かめてみたけど、
やっぱり私の手は、彼女の体の下敷きになって、ぺったんこに押し付けられてる。


こういう感覚って、ときーどきあるのだけど、こんなにはっきりと感じるのは、
めったにないこと。ふしぎ。



しばらくすると、私の親指と人差し指が、何かをつまんでいる感じで、あたかも、
体の中にある、大きな大きなニキビをつまんで、真ん中から膿みがニュルニュルって
出てくる感じ。ほーんとに、へんな感覚。




そんな風に私は感じで、ウワーっと思っている中、彼女は爆睡。




「多分、靈氣が巧いこと効いているんだろうなぁ。。とにかく、続けよっと。」


施術が終わったら、彼女はとても幸せそうに目をつぶったままだったので、私は
そのまま静かに家を出ました。





続く。

Tuesday, December 20, 2011

リアン Day 2~3

二日目

リアンには昨晩会ったばかり。今は次の日の朝、たったの12時間後。


ドアをノックして、自分でドアを開けて家に入った。人のお宅に、勝手に上がるのは、
なんか変な感じ。でも、勝手に入って来てね、と言われたので、そうさせて
もらった。

リアンは歩行器の上に座って待っていた。

「あら、座ってる!気分はどう?」と聞いたら、


「まあ、なんとかね。」軽く微笑んでた。

「昨日の睡眠はどうだった?」


「寝れたけど、睡眠剤使ったから。。。」


一回だけの施術じゃ、このような深刻な状態の方には、効果は見られにくい。
でもいいんです。靈氣は、中から治して行くから、目に見える効果は、一番最後。
深刻であればあるほど、たくさんの施術が必要なのです。


彼女は、ベッドに上がるのもお手伝いがいる。リアンがベッドの端に座り、私が
彼女の両足をしっかり抱えて、1、2、3で、ベッドの上に乗せてあげる。


体をひねるとか、足を持ち上げるとか、何かを拾う、という動作を
すると激痛が走るらしい。。。




今日も、施術を頭から始め、腕、そして腰へ手を当て、80分。
今日は、昨日と違って邪魔が少なかったから、彼女もリラックス出来たみたい。

この調子で、続けてみよう。




三日目


ドアをノックして、家に入った。

 わっ!リアンが立ってる! キッチンで朝食代わりのシェイクを飲んでる。

「動き回ってるじゃない、いいね!」って言ったら、


「うん、歩行器使って、ちょっとだけね。でも、動き回れるって気分がいいわー。」

リアンは歩行器を使って、ゆっくりゆっくり歩いていた。それは、彼女に
とってはものすごい進歩。だって、二日前は、右足に少しの体重もかけられずに
いたのに、今はゆっくりだけど歩いてる。



すごい, すごい !

今日も、靈氣の施術を頭から始め、今回は、転移している背骨に手を当ててもらえ
ないかな、という彼女のリクエストに答えて、背中にも手を当てた。

時間がなくって、今日は60分のみ、でも、しないよりマシ。



家に帰ってから、

"聞いて聞いて!今日ね、リアンは歩行器で歩いてたよ!"


靈氣の良い所は、やればやるほど改善が見えてくる。その改善は、もしかしたら
自分の望む場所じゃないかも知れないけど、どこかに効いてくる。




山口千代子先生の生前のインタビューでは、
「次の日どうなるか、それが楽しみで靈氣がしたくてたまらない。」




ほんと、その気持ちが、よくわかります。 
" 明日のリアンはどうだろう?"


リアン Day 1

日曜日の午後、ある人から電話がかかった。


「こんにちは、リアンといいます。あなたの電話番号を、私の友達からもらいました。私の子供達、あなたの子供達と一緒の小学校に行ってるんですよ。」


ありがたいことに、私の靈氣のお仕事は、ほとんどが口コミで広がって
いってくれています。これも、全く知らない人からの電話で、ありがたいなー、
と思いながら、電話での会話が始まった。


「昨日、退院したのだけど、私にも靈氣が効くかなって思って、電話してみてるんです。」


(そっかー、入院してたんだー。)


そして、会話が進むにつれて、彼女の健康状態はかなり深刻な状態だということが
わかりました。


5年前に乳癌になり、全摘手術をした。
2年前に、再発した。
3ヶ月くらいまえに、骨に転移して、特に骨盤に転移した部分の痛みがひどく、
今は、歩くことも出来ず、睡眠もままならない。


ということ。

(わー、かなり深刻な状態なのに、声はとても落ち着いていて、穏やかだな。。)
というのが第一印象でした。






「今晩、お宅に伺いましょうか?」

私は靈氣をするのが大好きなので、時間があれば相手を見つけて靈氣をやっていれば、
もう幸せです。



リアンは、とても驚いて、
「えっ?今日来てくれるの?日曜日だけど、大丈夫?今日来てもらえると、すごく
嬉しいわ。」


ということで、夕飯を済ませてから彼女の家に向かいました。子供達、同じ学校に
行ってるって言ってたけど、会ったことある人かな〜?なんて思いながら到着。


ダンナ様がドアを開けてくれ、家の中に通してくれました。


中に入ってみると、リビングルームの奥に病院用のベッドが設置されてあり、そこに
彼女が横になっていました。
(あ、見たことある人。)
挨拶したことはないけど、見かけたことある顔、そしてその時、数ヶ月前に小学校経由で
転送されてきた、リアンのガン治療への募金活動の記事を思い出した。その時は、
(あー、この人にも靈氣してあげたいな。でも、靈氣に興味があるかわからないし、
全くの他人に「靈氣してみますか?」って聞かれるのも、変なセールスだと
思われるかもしれないし。と思いながら、頭の中から消えて行ってしまった記憶が
彼女の顔を見て、甦って来た。


(あ、、この人かー。)


ベッドに横になっていた彼女は、顔だけこちらに傾けて、
「こんばんわ、来てくれてありがとう。あなたの顔、見かけたことあるわ。」


私も、
「こんばんわ、初めまして。多分、学校でお会いしたことあると思います。」

思っていたよりも、深刻な状態。
電話では、話せなかった詳しい話を、面と向かって聞くと、本当に心が痛む。
彼女は、私よりもほんの1歳だけ年上で、子供は同じくらいの年齢。そんなお母さんが、
ベッドに寝たきりになっているのは、家族にとっても、本人にとっても想像を絶する
辛い経験だろうと思った。


彼女は、こちらで言うとステージ4の癌。多分、日本語で言うと末期がんなのだと
思う。腕に転移したガンは、骨を溶かして骨自体が弱くなってしまっているので、
手術をして、骨を支える金属のピンを入れたということ。 
骨盤に転移している腫瘍の痛みがひどくて、少しの体重もかけられないということ。
ということは、動けない。



私は、靈氣がどういうものか、どういうふうにガンに効果があるのか、
ということをわかりやすく説明した。そして、こういう深刻な状態の方は、毎日、
もしくは1週間に5日は靈氣の施術をしないと意味がない、ということを
話したら、毎日でもやりたい、とのこと。


じゃあ、まずは一回目を始めて見て、そのあとこれからどうやっていこうか
決めることにしました。


私は靈氣の施術を、たいてい頭から始めます。そして、問題がある場所に
時間をかける。彼女の腕に手を当てたかったのだけど、届かない。。。

靈氣の施術で、一番難しいのは病院での施術、もしくは病院ベッドを使っての
施術。
幅が広すぎるし、病院だと色んな機械が周りにあって、身動きが取りにくい。
頭側にも足側にも、高い格子や板が張ってあって、頭にも足にも手を当てるのが
とてもやりにくい。 近くに座っても、膝がベッドの下に入らないので、
手をグンと伸ばさないと、体に届かない。


施術をやっている本人の肩や腰が痛くなってくる。。。

でも、利点がいくつかあって、自動で高さの調節とリクライニングができること。


ま、とにかく、この最初の施術では、電話が鳴り、食器洗浄機が回っていて、
クリスマスソングが鳴り響き、興味津々の子供達がのぞきにきたりと、
いろいろ邪魔が入ったけど、リアンは夢と現の間を行ったり来たりしていた
様子。

最初の施術の後、彼女は感動してこう言った。


「体中にエネルギーが回るのがわかったの。体の中を通って、何かにぶつかって、
砕けるような感じ。変に聞こえるかもしれないけど、弱い方の腕がもっと痛くなった
感じもするのだけど、今は痛くないわ。こんな感覚、今まで経験したことない。
どういう風に説明していいのかも、わからないくらい、不思議な感じ。」




(望みがあるかも。)って思った。




Day 2 へ続く。

Friday, December 2, 2011

40歳

40歳。


40歳になって、1ヶ月半がたちました。自分が40歳になったって、
結構な驚きなんです。


”40年も生きて来たんだ〜!”って言うべきなのか、
”40年しか生きてないんだ〜。”って
言うべきなのか、なんだかよくわからない。

こんなTシャツのデザイン見つけました。
”私は40歳ではありません。22年経験を重ねた18歳です。”
西洋らしい、言い回し!


とにかく、私にとっては、40歳になるってことは、重大な事実なんです。
っていうのも、4歳半の時に亡くなった父は、39際だったので、
”39歳は、死期に近い年齢”っていう変な思い込みがあるんですね。
変ですよね、たいていの人達が、50、60、70、80まで
生きているのを毎日この目で見ておきながら、心の奥底の、
「39歳が死期に近い歳」っていう思い込みを消しきれてないんです。
幼少の頃からの思い込みっていうのは、こんなものなのでしょうか。


幼少だったので、死というものが、なんなんだかよくわかってなかった
けど、他の家族構成とはちょっと違うんだよな、ってことは、わかってました。



小さい頃のこんな思い出があります。


私が小さい時、私の母に年齢を聞くと、いつも「35歳よ!」って
言ってました。いつ聞いても35歳って言うけど、かなりノンビリ屋だった私は、
それを鵜呑みにしていました。

ある日、小学校からもらって来た書類に、母が色んなことを記入しなくては
いけなくて、住所や電話番号、健康状態や誕生日、そして年齢も。



母は、年齢の所に「42」と記入しました。



そこで私は、「違うよ、35でしょ?」
母は、「真理ちゃん、本当はね42歳なのよ。」

私は、「え、でも、この前35歳って言ってたよ。なんで突然そんなに年取るの?」
(はい、私はのんびり屋の上、算数が特に苦手でした。)
母は、「混乱させちゃったねー。冗談だったのよ、本当は42歳なの。」



私、本気で大泣きしました。




 ”えーーーー!年寄じゃないー。もうすぐ死んじゃうの?” って。




死のことを理解していなかったとは言え、死ということは、なんとなく
「消えてしまうこと」って理解していて、自分の母も消えてしまうんじゃないかっ
ていう恐怖があったんですね。



母の実年齢が42歳って知った時、「ってことは、パパの年齢よりも年取ってる」
っていう事実に本気でショックを受けたんです。その上、
「ってことは、ママがこのまま年取り続けて、もしどこかでママとパパがまた
出会うことになったら、ママは年寄り過ぎて、パパがママのこと気づかないかも
しれない。どうするんだろう。」
ってことまで考え込んで、母に相談したのも覚えています。


天真爛漫な母は、冗談で取っていて、
「そうねー、どうしよっかー、どうしよっかー!」って楽しそうに
話してましたし、私がそうやってショックを受けたことを
「真理に本当の年齢話したら、泣いちゃったのよ〜!ケラケラ〜!」って
友達に冗談まじりで話していましたが、私の頭の中では





「ってか、真剣なんだけど。」。。。


とにかく、のんびり屋だった私は、真剣に話せば話すほど、冗談で取られてしまいがちで、
「夢みてたんじゃな〜い?」とか、「想像力豊かね〜!」で、済まされ、
「やっぱ、夢かー。」で、説き伏せられることが多かった。


いつぞやのオリンピックでは、熱を出して一人でおじ宅の居間で
寝込んでいたら、鈴木大地が金メダルを取った瞬間をとらえ、高熱を押して、
お迎えのおじいちゃんとこまで歩き、親戚が集まっているところで
「日本が金メダル取ったよ〜。」って伝えに言っても、
「また、真理ちゃんが夢見てるから〜。」ってさっさと会話が終わってしまった
時には、さすがに、

「夢、ぢゃない。。。」って言いましたが。


話を元に戻しましょう。




それから時が経ち、自分の姉が39歳になって、この年に姉が死んじゃうかも
しれない、って心配しました。




それから、自分の義兄が39歳になって、この年に義兄が死んじゃうかもしれない、
って心配しました。


それから、主人が39歳になって、この年に主人が死んじゃうかもしれない、
って心配しました。


それから、もう一人の姉も39歳になり、この年に姉が死んじゃうかもしれないって
本当に心配しました。

そして、私が39歳になり、なんなく40歳になりました。



"ってか、こんなもん?"
”ただの取り越し苦労?”


39歳で亡くなるのは、若すぎるってよく聞いてたけど、実際39歳になるまで、
どんなに若いってことかよくわかってなかったんですね。


39歳になって、ようやっと”39歳で死ぬのは、若すぎる。”って体で
わかりましたが、同時に39歳で死のうと死ぬまいと、これは人生の長さでは
なくって、質なんだ、ってことを、私のたましいが理解したんです。


魂というと、なんかおどろおどろしくって、知ったかぶっているような感じ
なんだけど、これ、ほんとに体で理解するんじゃなし、頭で理解するんじゃなし、
魂なんですね、やっぱり。


人の生と死についての本を読みあさったり、感動する言葉集なんかも読みあさった
時期があります。そんな時、いつも、「やー、わかるわかるー!」ってわかっていた
ような気分になっていたけど、ここに来て、実際
全然わかってなかったんですねー。
頭で理解しているうちは、理解していないってこと。


本当に理解出来た時は、で理解した時、だけなんじゃないかって。


「心魂つくして」とか、高校の時によく聞いていた「気魄と情熱」って言葉、
きっと深い意味があるんだよなーって。


父の39年という人生は、短いとは思うのだけど、彼の父親としての役目は
まだまだ続いていると思うんです。だって、35年たった今、父から学んだことに
氣づいているから。多分、生きている父だったらこんな大切なこと、教えてもらえ
なかっただろうなって思うと、若くして死ぬのにも意味があると思えるものです。





どれだけ長く生きるかよりも、

どう生きるか。




長く生きれば生きるほど、エゴというものが積み重なって来て、自分よりも若い人や
経験の少ない人を、私たちは見下しがちになってしまいます。

でも、靈氣の教えでは、長く生きれば生きるほど、そんなネガティブな思いや
態度を一枚一枚はがして行って、長く生きれば生きるほど、エゴがなくなる、
という教えなんですね。



わたしたちにエゴがなければないほど、平和につながるんじゃないかな。


今日も、一枚はがして行こっと。





こんな感じ。