この第3話は、第4話へ持って行くための裏話になりますので、ひまわりは
登場しません。
私がカナダに初めて来たのは、1999年8月。 長崎からチリワックへ直行、
カルチャーショックと戦いながら、気がつくと今は2012年。
14年目に突入です。
1999年にカナダに来た最初のきっかけは、子供達に器械体操を教える
インストラクターとして1年の契約で来たのです。 英語は好きな科目であったけど、
当時では典型的な日本人、読み書きは得意だったけど、実際、会話が出来るほどではなく、そんな英語力でいきなり体操を子供達に教える、という立場になり、
ここに到着してから、「うーん、かなり勇気のある行動をしてしまったかも。でも
後戻りは出来ないので、頑張るしかない。」という、なんというか、選択肢も逃げ道も
ない海外生活が始まりました。
同時のチリワックは、まさに100%白人社会。どこに行っても、アジア人の姿は
なく、買い物にいくと、小さな子供にジロジロみられるし、何かにつけ、大人のグループに入ると、
「この人、英語しゃべるのかしら。どう対応していいのかわからないので、遠くに
座った方が無難だわ。」という雰囲気満々。
やっと輪に入れたと思っても、ネイティブ英会話の早さについて行けず、結局
黙ってニコニコして聞いているだけ、わかってもいないのに、うなずいたり、一緒に
笑ったり。
ということで、友達が出来るわけもない。映画に行くのも一人、買い物に行くのも一人、
自転車で街を探検してみるのも一人。
そんな生活が5ヶ月くらい続いた。
それでも、だんだんと、この田舎町のチリワックの生活に慣れて来て、自転車があれば
近場だったらどこにでも行けるようになって来た。
3時頃(学校が終わる時間)から始まる体操教室でのインストラクターも随分慣れて来て、生活にも心にも余裕が出て来た。
「ランチタイムだけでも、仕事が出来ないかな。」
という軽い気持ちで、近くにあった日本食レストランに出向いてみた。
「Are you hiring? (仕事探してるんですけど。)」とつたない英語で聞いてみたら、
「Do you have resume? (履歴書持って来た?)」
心の中で、・・・Resumeって、何だ?
って考えていたら、
「Are you Japanese?(君、日本人?)」とあちらから質問してきた。
「Yes, I am. (はい、日本人です。)」と答えたら、
「Oh, you are hired. Can you start tomorrow? (君、採用するよ。明日から来れる?)」
「O, OK. I will come tomorrow. (は、はい。。明日から来ます。)」
「へっ? そんなんでいいんかぁ?」
そして、家に帰ってから、電子辞書で「Resume」を調べてみて、初めて
「あーーーー、履歴書のことね〜〜〜。」
そりゃ、仕事探しには履歴書はいるわよねー。そんなことも考えずに仕事探しを
始めた無知な私は、一発でウェイトレスの仕事を手に入れた、ついてる女。
新しいレストランだったらしく、韓国人オーナーの経営だったので、日本人の
私がお店にいるとなにかにつけ助かる、ということで、速攻採用してくれたのです。
次の日から、ウェイトレスとしてランチタイムだけ仕事を始めた私は、
なんか自立し始めた気分でとても嬉しかった。
それまで日本でやっていた仕事というのは、親のつてで入社することの出来た三菱商事。世界を股にかける大会社。億単位の注文なんかがあり、ミスをしたり、納期遅れが
あったりすると、もう逃げたくなる時とかあったけど、それなりにやりがいもあった。
色々学ばせてもらい、私の人生には欠かせない経験だったけでも、お給料が良かったからか、お金に対するありがたみというのを、学んでいなかった、と今振り返って思う。
ウェイトレスの仕事は、当時1時間7ドルだった。チップとかも入れて、ランチタイムだけで働くと、一日25〜30ドル弱の収入。大金ではないけど、すごく嬉しかった。
そこで初めて、「お金って、大切だわー。1時間頑張って働いても7ドル。」当時の日本円ですると、500円くらい。
一緒に働いていた、白人のウェイトレスに、パブに飲みに行こうと誘われても、折角、汗水たらして稼いだお金を、お酒に費やすなんて、もったいない!と、今までの日本での生活とは、正反対。 飲み会、合コン、カラオケに費やしたお金さんたち、改めて、
ありがとう。。。
そのレストランにふらりと現れたのが、今のダンナさま。
今でもはっきり覚えている。水色のTシャツを来て、一人でふらりと入って来た。優しそうな笑顔は今も変わらない。
「テイクアウトでランチを注文したいのだけど。」と私に話しかけて来た。もちろん
ネイティブ英語で。
「じゃ、メニューをどうぞ。」とメニューを渡した。
「じゃ、鍋焼きうどん。」と彼は注文した。
心のなかで、
「鍋焼きうどんは、熱いのをフーフーしながら食べるのに意味があるのに、
テイクアウトなんかにしたら、冷めちゃうし、麺はのびるし、ったく、カナディアンは
鍋焼きうどんの良さをわかっとらん。」
と思いつつ、笑顔で、オッケー!と。
今支払って、出来るまでここで待ってます。と、財布を出そうとした彼は、財布を車の中に忘れてしまったのに気がつき、
「財布を車に忘れて来ちゃったから、すぐ戻ってくるね!」と、出て行った。
ほんとにすぐに戻って来て、
「財布取りに行ってる間に気が変わったよ。鍋焼きうどんはここで食べるから、
テイクアウトじゃなくて、ダインインに変えてくれる?」
私は、笑顔でオッケー!と言ったものの、心のなかで、
「そりゃそうよ。鍋焼きうどんは、ここで食べた方がいいわよ。」と思ったのでした。
鍋焼きうどんが出来て、テーブルに持って行き、
「熱いから気をつけてね。」と、またつたない英語で頑張る私。
一口食べた彼は、突然日本語で、
「アーツイデース。」
(熱いです)
ここから、第4話のひまわりの話に続きます。
PS しかも、この運命の日は、2000年2月2日、午後2時頃。私のラッキー
ナンバーの2がいっぱい。しかも、火曜日は、いつもだったらシフトに入ってない
日だったのだけど、もう一人のウェイトレスが病気で来れないので、私が
代わりに入った唯一の火曜日でした。 運命って!
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