Sunday, February 26, 2012

魂で会話するということ 4

今日は、一日バンクーバーまで行かないと行けないんだけど、
行く前に、1時間だけ靈氣をしにリアンのところに行くことにした。


雨がザーザー降って、とても暗い土曜日。


今日は、なんとなく元気そうなので、
「なんか今日は元気そうだよ?」って言ったら、
「昨日、看護婦さんが来てくれて、排便を手伝ってくれたの。スッキリしたー。」
とのこと。やっぱり、排便って大切よねー、なんて気軽に話をしながら、
靈氣を始めた。




やっぱりいつもの様に、2〜3分で、リアンは眠ってしまった。
朝起きたばっかりなのに、またこうやってぐっすり眠れるってことは、
体が疲れているか、靈氣が効いているか、どっちかだよなー。




今日は、魂の会話になるのかなーって思いながら、靈氣をしていたけど、
昨日やおとといみたいな、不思議な出来事も起きなさそうな感じ。
とても静かに、いつものように靈氣のセッションが進んだ。




「なーんか、このままじゃリアンの人生は終わらなさそうな氣がするんだよなー。」
っていう私の思いは、今となっては幻想なのか、願いなのか、直感なのか、
まったくわからない。




そうこうしているうちに、私の頭の中が、突然日本語に変わったんです。




私はカナダに住み始めて、13年目。最近は、日本人が周りにいない限り、
たいてい私の頭の中は英語。特に、カナダ人を目の前にすると、すっかり英語。




なのに、突然頭の中が日本語になって、
「なんで日本語?」って思っていたら、こんな言葉がフッと出て来た。


「ゆっくり行こうよ、お母さん。」




まるで、娘が病気のお母さんに、
「ゆっくりで良いから、静かに生きて行こうよね、お母さん。」
って話しかけているみたいな感じ。




リアンに対して話しかけているのに、
「何で、”お母さん”なんだろう?」と思った。


私は、生前の母を”お母さん”と呼んだことは、一度もないんです。25歳になっても、
”ママ”と呼んでいたし、今も”ママ”と呼んでいる。だから、私の口から”お母さん”
という言葉がでること自体、なんで?って感じなんです。




その瞬間から、いろいろと解決出来ない自分の中の質問が解けて来たんです。




リアンに出会う前に、リアンの息子を学校で見かけた時、「この子のお母さんに会ってみたい。」ってどうして思ったんだろう。
どうしてあかの他人のリアンに、私は毎日靈氣をしに行こうという気分になったんだろう。
どうして、毎日行っても全く苦にならないし、当たり前のことのような感覚なんだろう。
どうして、リアンからお金を頂くと、なんか心地が悪いんだろう。


それは、もしかしたら、過去生でリアンは、私の母親だったからじゃないか、
って思った。リアンと私がその昔、母と娘という関係だった時、きっと私は
リアンのことを”お母さん”って呼んでいたんじゃないかって。




えーーーー、過去生なんてないよーーー、って思われてもいいんです。
あるから。




言葉にするのは、すごく難しいのだけど、とにかく、この世界では、他人として
生まれて来たけど、リアンの魂と私の魂は、母と娘という関係なんじゃないかって、
はっきり思ったんです。


だから、リアンの息子を遠くから見かけた時に、なんとなく親近感が湧いて、その子の
お母さん(リアン)に会ってみたいと思ったんだ。
だから、病気のリアンに出会った時、これから出来るだけ毎日訪ねようって思ったんだ。
だから、毎日行っても苦にならないんだ。まるで、娘が病気の母親を見舞うように。
だから、お金を頂くと、変な感じがするんだ。




これって、変な解釈なのかな、、、、。

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