靈氣治療家としてのの教えの中で、もっとも大切とされるのは、五戒。
靈氣の施術家と師範は、五戒を生活の基本にするように教えられます。
(この五戒は、’提案’であって、’規則’ではないので、守らないからといって、戒めを受けることはありません)
(この五戒は、’提案’であって、’規則’ではないので、守らないからといって、戒めを受けることはありません)
今日だけは
怒るな
心配すな
感謝して
業をはげめ
人に親切に
怒るな
心配すな
感謝して
業をはげめ
人に親切に
この五戒のなかで、私がもっとも氣にいっているのは、
"感謝して"
この「感謝して」の本当の意味は、日常にあって、いつもだったら
目に留まらないような小さなことにも感謝出来る気持ちを
もちましょう、ということです。
空気に感謝、タンポポの色の鮮やかさに感謝、お日様で乾いた洗濯物の
爽やかな匂いに感謝、などなど。
私が直伝靈氣のクラスを教える時、この『感謝して』の部分で
いつも頭によぎる思い出があります。
私が25歳の時に、母が予期せぬ死を迎えました。いま考えると、25歳って
大人のようで、まだまだ子供でした。 あまりのショックと、「家族に囲まれる生活」から「一人暮らし」。天と地がひっくり返ったような生活の違いに、なかなk順応することが出来ませんでした。
大人のようで、まだまだ子供でした。 あまりのショックと、「家族に囲まれる生活」から「一人暮らし」。天と地がひっくり返ったような生活の違いに、なかなk順応することが出来ませんでした。
仕事から帰ってくると、部屋は真っ暗。寒いし、話す人は居ないし、なんだかたったひとりぼっちになったような気分になって、何の為に、誰のために生きているのだろう、ってよく考えるようになりました。
遠くに住む姉達、近くに住む友人や親戚に支えられながらも、突然失った「家庭の暖かさ」は、言葉には表せない寂しさでした。
そんな時期が数年続き、4年経ったある日、今の主人に出会いました。
最初は、結婚なんかしたら、また大切な人をなくすはめになるし、そんな想いをまた味わうくらいなら、一人で一生暮らした方がいいわ、と思っていました。それでも、なんとなくこの人なら、一生一緒に過ごせると思うと感じ、一緒に暮らし始めました。
ある日、主人が仕事から帰って来た時、
「タダイマ〜。」と言いました。
「タダイマ〜。」と言いました。
それから、私は
「おかえり〜。」
と言いました。
「おかえり〜。」
と言いました。
ただいま、おかえり、っていう会話は、友達が家に来る時に使う会話ではなくて、家族が家に帰って来た時に使う会話ですよね?
「おかえり」って言った時、なんだかとっても嬉しくて、心の底から、喜びが湧き出てくる様な気持ちだったのです。
「今、わたし、おかえり、って言ったよね?ってことは、ここに誰かが帰ってきたってことで、しかも私はここに住んでいる。これって家族みたい。」
一人暮らしじゃ出来ない会話。
ただいま。おかえり。
こんな簡単な会話が、心温まるかいわだったなんて、考えもしませんでした。
その大切さがわかったのは、一度失ったから。
その大切さがわかったのは、一度失ったから。
だから、私はどんな小さな瞬間でも、感謝して、言葉に表せるような人でありたいです。なくしてからでは遅いってわかってるから。
雪山の雪の線が、上がったり下がったりすること。
雪と雨は匂いが違う事。
日が沈む時、山がピンクになったり、赤になったり、オレンジなったり。
日本のカラスとカナダのカラスは、鳴き声の音程が違う事。
そんな小さなことに気づきながら、毎日過ごしたら、イライラする事も、怒鳴ることもなくなっちゃうんです。
雪と雨は匂いが違う事。
日が沈む時、山がピンクになったり、赤になったり、オレンジなったり。
日本のカラスとカナダのカラスは、鳴き声の音程が違う事。
そんな小さなことに気づきながら、毎日過ごしたら、イライラする事も、怒鳴ることもなくなっちゃうんです。
って、自分に言い聞かせます。
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