日本に帰ってきた、と言う感じではなく、
日本に移民してきた、と言う感じで。
私は、51年の人生、いろんな種類の喪失感を味わってきました。
ペット、両親、親戚、友人の死、ピアノとの別れなど。
今までの喪失感は、あっちから勝手にやってきて、もう2度と手に入れることが
出来ないとわかってるから、受け止めるしかないし、前に進むしかない。
そして、今感じている喪失感は、失ってないのに失ってる。
有るのに、ない。
愛し合ってる主人、いるけど、ここにはいない。
大好きな愛犬、いるけど、ここにはいない。
靈氣で培ってきた自分の存在、あるけど、ない。
古い友達ここにはいない。
取りに行けば、そこにある。
取りに戻る選択肢がある。
でも、取りに戻ると言う選択肢を自分に与えない、今まで感じたことのない喪失感。
最初は、
「なんてことしてしまったんだろう。自分からこんな辛いことに乗り込むなんて。大間違いだったかもしれない。私って頭おかしいのかもしれない。」
とすら思っちゃいました。
持っていたものを失う、でも、奪われたのではなく、失敗して失ったのではなく、自分で選んで遠ざかって、でも、自分で選べばまた手に入る。
成功を失う。失ったのではなくて、奪われたのでもなくて、失敗したのでもなくて、
自分で切り替えて、ゼロに戻す。
安心する場所を作るために、安心していた場所を離れる。
成長するために、成長させてもらった場所を離れる。
思い描いている目標に向かうために、達成した目標を手放す。
そういう、なんというか、選択肢のある喪失とか、自分の意思で手放す喪失感って、もしかしたら、選択肢のない、死を通しての喪失感よりも、難しいハードルなのかもしれない。って思う。
なんで、選んだかって?
幸せにどっぷり浸かっていたから、あちらから課題を与えられる前に、自分で課題を作るんだ。そんな思いもあったから。
シングルマザーのお母さんたちの思いが、少しだけわかるようになった。
今二人暮らしだから。
すごくすごく頑張ってるんだなって思う。応援したい。
離婚して、パートナーと離れ離れになる思いが、少しだけわかるようになった。
今別居中だから。
すごくすごく大きな決断だったと思う。勇気があったと思う。
一人旅の途中の、孤独感とか迷いとか、少しだけわかるようになった。
すごくすごく心細いと思う。うちに泊まりにおいでって言いたい。
災害とかで、持っていたもの全てを失わざるを得なかった方の気持ち、彼らはどんっなに辛かっただろう、どうやって乗り越えたんだろう、ほんっとによく頑張ってるなって、少しだけだけど、わかった。
心細いと思う人を、とにかく支えられる人になりたいと、強く思うようになった。
だって、今支えられていて、心から感謝してるから。
目標を持つ人へ、一歩ずつでいいから、休みながらでいいから、しゃがんだっていいから、前見ててごらん、って言えるような人になりたいと、強く思うようになった。
だって、その言葉がどんなに心強いか、感じてるから。
みんなにみんなにありがとう。
挑戦するということは、
ワクワクだけではなく、
そんな感じの、孤独な日もあるよ、
と言う気持ちを、自分にも覚えていてほしくて、正直に書いておきました。
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